働き方紹介City
栃木県

やりたいことを実現するための地方就職。自分の選択を正解にする生き方。

【栃木県】株式会社下野新聞社
多里まりなさん
京都府出身。大阪の大学を卒業後、2016年に下野新聞社入社。入社後は地域報道部の栃木市支局に配属。翌2017年に宇都宮市内のまちなか支局に異動し、中心市街地の特集ページに携わる。2019年に宇都宮市の記者クラブに異動し、現在は行政や地域の話題全般を扱う記者として活動する。

サマリー

「記者になる」という目標に向かって一直線に就職活動をし、栃木県の下野新聞社に入社を決めた多里さん。縁もゆかりもない栃木県をどうして選んだのか、そして栃木での生活をどのようにスタートさせ、充実させていったのか。重要なことは「人生で一番大事にしたいものを考えること」と語る多里さんに、自身の選択を自らの手で正解にしていくストーリーについて伺いました。

地方を選んだ理由

大阪の大学を卒業後、下野新聞社に入社し、記者としての職業人生を歩み始めた多里さん。栃木を訪れたのは就職活動の時が初めてだったそうです。「元々記者になりたいという目標があって、就職活動では全国紙も地方紙もこだわらずに受けていました」。 
下野新聞社を受けるきっかけとなったのは、採用ページに掲載されていた過去の連載記事だったそうです。「貧困家庭で育つ子どもの現状や心情を取り上げ、生まれ育った環境に左右されず子どもが希望を持って生きられるよう解決策を探る内容で、私もこんな報道がしたいと思い、応募を決めました」。 

多里さんは、下野新聞社の採用選考を進めていく中で次第に栃木に引かれていきます。「他の地方紙の選考も進んでいましたが、下野新聞に行くだろうなという直感がありました。就職試験で栃木を訪れた際に、たまたま寄ったお店の人に『栃木いいところだよ』って気さくに話しかけていただいたり、面接で訪れ、地元の人と話したりするうちに、なんとなく栃木に来るのかなと気持ちが向いていったように思います」。 

大学卒業まで実家に住んでいたので、初めての一人暮らしが縁もゆかりもない栃木となった多里さん。意外にも不安は感じておらず、「当時は記者になれたことがうれしくて、地方とは言っても日本国内ならどこに住んでも同じかなと思っていて、勢いで行っちゃった部分はありますね」と笑います。 

地方での働き方

多里さんが入社後に配属された栃木市の支局は、多里さんを含め3人だけ。ところが、移住当初から寂しさはあまり感じなかったと言います。 
「最初は観光情報誌を買って、気になるところを回っていました。すると、お店の人や現地の人が気さくに話しかけてくれるんです。県外出身なので何も分からないことを正直に話すと、いろいろなことを教えてもらえました」。 

記者としての仕事も、街になじむ上で役に立ちました。「仕事のおかげで人とつながって、結果として休みの日に行く場所が増えました。あの人がイベントに出ているから見に行ってみようとか、美味しいと教えてもらったお店に言ってみようとか。取材などでお話する人が飲食店や観光施設、農家の方と幅広いジャンルだったことも良かったと思います」。 

フレンドリーな街の人たちとの会話や仕事を通じたつながりだけではなく、多里さん自身の人間関係を広げていく努力もありました。「どの分野の人にも会えるように、声をかけられた飲み会には顔を出すようにしたり、人を紹介してくれると言われた時には必ず会いに行ったり、とにかく街の人たちと接触する回数を増やしました。いろいろなところに顔を出している中で、この人とこの人がつながっているんだ、という発見があるようにもなっていきましたね」。 

こうして街のさまざまな人と関係性を作ってきた多里さん。この街の人になったと感じたエピソードがあるそうで、「地元の友人が遊びに来てくれた時に、この店が美味しいとか、店主さんの人柄が良いからあの店に行こうと案内していて、『あ、自分地元の人やな』と感じました」と言います。 

地方都市での暮らし

移住する前、栃木での生活については「まっさらであまりイメージしていなかった」という多里さん。実際に栃木で暮らしてみると、これまで大阪や京都で過ごしていた時とは違った生活の楽しみ方を感じています。 
「栃木は自然が本当に多いので、休日に山登りに初挑戦しました。農産物も豊かでおいしくて、季節に合ったものを自分で調理して食べるようになったことも変化ですね」。 
仕事柄、飲食店や農家に取材に行くことも多いようです。地場産の食材を使うことを意識する飲食店の方のお話を聞いたり、農家の方にお話を聞いたりするうちに、「地元の農家や食材にスポットを当てたいという気持ちが強くなり、また自分でも調理して食べてみたいと思うようになりました」とのこと。パッケージに説明が書いてある食材もあって、そこから作った人のこだわりを読み取ることができて、食べる時にもそれを感じられるのがうれしいそうです。 

他にも、生活の変化として「買い物の楽しみ方が広がった」と多里さんは言います。宇都宮のまちなか支局で働き始めるようになって宇都宮市の市街地に引っ越した多里さんは、車社会の栃木でなんと車を持たずに徒歩で生活していたそう。「宇都宮の市街地は徒歩で十分日常生活を送れてしまうんです。市街地と言っても、商店街には昔ながらの小売店もあって、そこには特定の商品にものすごく詳しい方がいらっしゃったり、商品の選び方を教えてもらったりできるんです」。 

一方で、おしゃれな服を買ったり、いわゆる「プラスアルファの娯楽」をするときには電車で東京に行くとのこと。東京までは電車で2時間弱です。「関西に住んでいたので、東京に出るというのも初めてで楽しかったです。栃木は東京に近いというのもいいですよね」。地元と都会を上手く使い分けて、生活を充実させている様子がうかがえました。 

地方就職を考える人へのアドバイス

記者になりたい一心で、縁もゆかりもない栃木で、全く新しい生活をスタートした多里さん。その選択について、多里さんは後悔を感じることはなかったと言います。「記者になるという気持ちに真っすぐだったので、私にとっては、とにかく記者として仕事をするためにこの土地に慣れる、という順番で物事を考えていたんです」。 
その一方で、仕事を通じて築かれる人とのつながりによって、多里さんの栃木での生活は豊かになりました。「仕事のおかげで栃木での生活が成り立ったとも思います」と多里さんは語ります。 

自分の生活ひいては人生を考える上で重要なことは、一番大事にしたいものを考えることだと多里さんは言います。「私もそうですが、自分の目の前にある世界のことを当たり前だと感じてしまうんです。でもそこを一歩出ると、自分が大事にしたいと思うことに共感してくれる人がいたり、それを実現できる場所があったりする。人生で一番大事にしたいもの、守りたいものを考えた上で、一つの手段として地方移住があればいいなと思いますね」。 

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