働き方紹介City
沖縄県

やりたかった新アプリの企画に挑戦!充実した仕事と、自分らしい暮らしがある場所。

【沖縄県】株式会社サイダス
宮崎泉さん
1994年埼玉県生まれ。自分の働きで多くの人に貢献できるSaaS(※)の仕事に興味を持ち、新卒で株式会社サイダスに就職。当初は東京勤務だったが、1年後、新規プロジェクトに声を掛けられ、沖縄に異動する。幼少時から親の転勤で兵庫や石川、茨城に住み、韓国留学の経験などもあるため、住む場所にはこだわりがなかったという。
※Software as a Serviceの略。クラウドで提供されるソフトウェアのこと。

サマリー

新卒で選んだのは、クラウドの人事支援システムを開発・販売している株式会社サイダス。新しい物を自ら生み出して、世の中に影響を与えたいと思う宮崎さんにとって、これ以上ない仕事でした。入社2年目から、念願のアプリケーション開発に携わるため、沖縄に赴任。充実した仕事とゆったりした生活を手に入れて、とても心地よく暮らしていると言います。現在の働き方や沖縄での生活について話を伺いました。

地方を選んだ理由

自分の仕事で、社会に何かしらの影響を与えたい――大学時代には、そんな気持ちで就職活動をしていたという宮崎さん。国際的な会議やコンベンション、展示会などに関わるMICE(※)の業界を中心に、企業を見ていたと言います。「自分の携わった仕事で、世の中をポジティブな方向に動かしたいと思っていたんです。自分の力を最大限まで大きくして、より多くの人に貢献するためには、組織の一員としてモノや場を作る仕事が良いと考えました。そうして出会ったのが、株式会社サイダス。クラウドの人事支援システムを開発・販売している会社でした。ネット経由でサービスを提供するSaaS事業は、自分たちのサービスがどんなクライアントに貢献しているかが目に見えます。それに、サイダスのサービスを使っている企業が活躍することで、自分の仕事にどんどん相乗効果が生まれるところも気に入りました」。

入社の決め手は事業内容。とはいえ、サイダスが沖縄に拠点を持っていることにも、引かれる部分がありました。「私は幼い頃から、親の転勤で地方を転々としてきました。地方都市での暮らしといえば、まず“コミュニティの心地よさ”が思い浮かびます。たとえば、兵庫や石川の団地に住んでいたときは、近くに住むお兄さんやお姉さんが一緒に遊んでくれて。クロールやちょうちょ結びを覚えたのも、近所の大人が教えてくれたからでした。ずっとそこに暮らしている人たちのコミュニティに混ざって、各地で温かい居場所をもらってきたんですよね。そんな生活が楽しかったからか、自分もどこか地方で働いてみたいという思いがあったんです」。

※企業等の会議(Meeting)、報奨・研修旅行(Incentive Travel)、国際会議(Convention)、展示会・イベント(Exhibition/Event)の総称。

サイダスに入社してから1年間は、東京で働きました。技術部のアシスタントとして、データを整理したり、既存クライアントへのサービス運用提案を行ったり。そして入社2年目に入る春、社長から「沖縄へ行って、新しいアプリケーションの企画をやらないか?」と打診を受けました。「沖縄には旅行すらしたことがなかったけれど、二つ返事で引き受けました。新サービスの企画は、もともとやってみたかった仕事。新しい土地で、新しいメンバーと新しい仕事を始めることに、心が踊り出すような期待感が湧いてきたんです」。

現在の仕事内容

「東京で技術寄りの仕事をしていたときから、既存サービスを組み合わせて、新しい使い方などを考え出すことに面白みを感じていました。上司も常々『新しい企画や自分が作りたいアプリケーションがあったら、いつでも提案してね』と言ってくれていて。いつかは絶対にやりたいと考えていたものの、まさかこんなに早くチャンスが回ってくるとは思いませんでしたね(笑)」と、宮崎さんはうれしそうに振り返ります。

しかし、社員中心のアプリケーションの企画は、会社としても初めて手がけるプロジェクト。詳しい人も社内にいない中、宮崎さんは手探りで仕事を進めていきました。「お客様の課題をヒアリングして、必要なサービスのアウトラインを考え、実際の仕様にまで落とし込んでいきます。とにかく未知の領域だったので、始めのうちは何をやっても楽しく感じました。やることなすこと全てが新しいし、どんどん前進できている実感があったんです。開発チームも、私と同時期に沖縄に集められたメンバーばかり。みんなでわいわいと話し合いながら、ものづくりに打ち込む楽しさがありました」。

でも、最初に関わったアプリケーションの企画は頓挫し、ローンチまでたどり着かず……。宮崎さんはその悔しさをバネに「顧客もチームも満足できて、きちんと売れるもの。世の中に出せるものを作れるようになりたい」と、モチベーションを新たにしました。アプリケーション企画の仕事も、今では3年目。企画する物の内容は毎回違っても、宮崎さんの熱意はその時のまま、変わりません。

「サイダスが掲げているコミュニケーションワードに『働いている時間は、会社のための時間だろうか。働いている時間は、⾃分のための時間でもあるはずだ』という言葉があるんです。私、この言葉にすごく共感しているんですよね。沖縄に来た最初の目的は、やりたい仕事をやるためでした。でも、やりたい仕事をやるために沖縄に来たことで、自分が自分らしく過ごせる時間も手に入ったんです」。

地方都市での暮らし~移住前後で変わったこと・変わらないこと~

宮崎さんが沖縄で過ごす時間を“自分らしい”と感じる理由は、充実した仕事ができているから、だけではありません。ゆったりとした暮らしそのものにも、心地よさを感じています。

「東京に住んでいた時の通勤時間は45分くらい。ただ、ぼーっと電車に乗っていました。でも今は、オフィスまで徒歩15分。帰り道を歩きながら『今度はこのアイデアを試してみたい』『今日はもっとこうすれば良かったな』って、自分を振り返る時間も生まれています。この“内省タイム”が、なんだか私には合っているみたい」。坂道を上って到着する宮崎さんのアパートからは、美しい海も見えるそうです。

「同僚との人間関係もずいぶん変わりました。もともと沖縄にいたメンバーが15人くらいと、私が沖縄転勤してからメンバーが増えて、今では総勢40人くらいのオフィスだけど、雰囲気はとってもアットホーム。みんな近くに住んでいるし、町の中心でお店もたくさんあるから、よく外食します。いつも新しいプロジェクトが走っていることもあって、飲みながらアイデアを語り合う夜も多いですね」。

じつは同僚だけでなく、町を行く人たちとの関係も変わりました。大都市では、すれ違う人と体がぶつかっても、混雑した電車内でぴったり寄り添っていても、相手と必要以上にコミュニケーションは取らないもの。でも沖縄では、会社付近のお店の人や近所の人とも顔見知りになり、軽いあいさつすら交わします。「なんだか人間っぽくなった気がします」と、軽く笑う宮崎さん。

休日には、アウトドアに行くことも増えました。「もともとインドアだから、外に遊びに行ったりすることなんてなかったんです。でも、ここでは先輩に連れられて海に行ったり、キャンプに行ったりしています。沖縄に住まなかったら、海に行く習慣なんてできなかったでしょうね。最初、あまりにも外で遊ばない私を見かねて、先輩が仕事終わりに夜の海まで連れて行ってくれたこともありました(笑)」。でも、韓国ドラマや映画を観る趣味は、沖縄に来ても変わらず。配信サービスが充実しているいまは、どこにいたって話題作が楽しめます。

東京圏・大阪圏を離れたいと考えている人へアドバイス

宮崎さんは、自ら沖縄を選んだわけではなく、やりたい仕事を追いかけていたら地方にたどり着いた人です。でも、いまは沖縄で生きる自分やそこにある暮らしを、とても好ましく思っています。

「都市圏or地方ではなくて、自分が自分らしくいられる場所はどこなのかに重きを置いて考えるのが良いと思います。私にとっての都会は、いろんな中身がみっちりと詰まっていて、隙がないイメージ。暮らしていたときはその密度が楽しかったけれど、沖縄での生活を知った今は、都会の空気に少し息苦しさも感じます。でも裏を返せば、地方は穏やかなあまり、自分を駆り立てる刺激や出会いがあまり多くない……ということでもあるんですよね。だから地方では、モチベーションは自分で見つけて高めなきゃいけないと感じています。私にとっては、それがサイダスでの仕事。新しいアプリケーションを作って、世に出し、社会に貢献するというモチベーションを持ち続けているから、ここでの暮らしを最大限に楽しめているのかもしれません」

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