働き方紹介City
岡山県

“今は”岡山が大好き。人との出会いと仕事への情熱が“地方”の見方を180度変えた。

【岡山県】株式会社ITONAMI
能瀬大智さん
1996年高知県生まれ。松山大学を卒業後、就職を機に上京。金融機関に就職。その後岡山県へ転勤し、退職。フリーランス、広告代理店での勤務を経て、現在はデニムの製造販売とゲストハウス業を営む株式会社ITONAMIに勤める。

サマリー

社会人2年目、予想もしていなかった岡山への異動辞令。知り合いもおらず何も分からない土地での暮らしに、初めは動揺を隠せなかった能瀬さん。しかし、自分がやりたいことに正面から向き合い、選択と行動を繰り返す中で、岡山こそ自分の居場所であり、自己実現の舞台だと考えるようになります。今は岡山のことが大好きだという能瀬さんに、変化のきっかけについて伺いました。

︎地方へ行くことになった経緯

「岡山に行ったことのない当時の支店長から、肩をポンとされて『倉敷いいところだぞ』って言われて。暗い気持ちで泣きそうでした」。 
能瀬さんが岡山で働くきっかけは、新卒で入社した会社の辞令でした。社会人2年目、東京から岡山への転勤が決まった時は、相当なショックを受けたそうです。「異動の知らせを聞いた時は本当に辛かったです。東京から岡山へ向かう新幹線で涙が止まらなくて(笑)。岡山のことは何も知らないし、知り合いや親戚もいない。全てがゼロからのスタートで、これからどうしようという感じでした」と笑いながら当時を振り返ります。 

それでも、岡山での仕事は「やりがいもあって、誰かのためになっていることが感じられるものだった」と語ります。そんな能瀬さんにとって転機となったのが、学生時代からの趣味である写真でした。 
「転勤から1年半くらい経った頃だったと思います。岡山の友人と写真の個展を開いたことがありました。その時に来場された方から、『写真に人柄が出ていていいね』と褒められたんです。それがうれしくて、ずっと心に残っていて。表現に関わる仕事をしたい気持ちが大きくなっていくのを感じました。その頃から表現を生業にする人たちとの関わりが増えていったこともあって、『自分も作る側、発信する側に行きたい!』と思うようになっていきました」。 

︎地方就職を決めた理由

「自分が本当にやりたいことは何か?」と、幾度となく自問を繰り返した能瀬さん。遂に新卒入社から3年半勤めた金融機関の退職を決断します。退職後はフリーのフォトグラファーとして活動をスタート。4カ月後には広告代理店での仕事も得て、表現や発信に携わるようになりました。その頃は、活動の拠点として「東京へ戻る」ことも考えていたそうです。

能瀬さんにとって東京は、「かっこいいモノやコンテンツが溢れていて、同世代のクリエイターと切磋琢磨できる場所」。しかし、能瀬さんが最終的に選んだ場所は岡山でした。

「かっこいいものは東京から生まれるって、ずっと思っていました。でも本当は、地方にもかっこいいことや、それを広めようとしている人がたくさんいて、それを自分が知らないだけだったんです」。

そう考えるようになったきっかけが、現在働くITONAMIとの出会いです。
「金融機関での仕事を辞める少し前に、SNSで『DENIM HOSTEL float(ITONAMIが運営する宿泊施設)』を見つけて、岡山に遊びにきた友人に宿泊先として紹介したのが始まりです。友人と一緒に、オーナーやスタッフの方々から、デニムの製作過程における試行錯誤や、企画の背景について話を聞き、『地方にこんなかっこいいモノ作りをしている人がいるんだ!』と衝撃を受けました」。

能瀬さんは「そこから毎週末お店に通った」と言います。スタッフの方々もほとんどが県外出身で、「意気投合したというか、自分の居場所を見つけられたような気がしました」と当時を思い返し、微笑みます。

宿のスタッフやお客さんと交流したり、イベントに参加したりする中で、いつしか「この人たちと一緒に仕事がしたい」と思うようになっていた能瀬さん。大学時代はアパレルショップで働いていて、大の服好きであったことや、広報の仕事でカメラのスキルも生かせそうだと感じたことが後押しとなり、「一緒に働きたいです」と直談判でオーナーに伝えました。そこでまずは、広告代理店の仕事を続けながら、ITONAMIが運営する「DENIM HOSTEL float」のオンラインコミュニティマネージャーとして関わるところからスタート。5カ月後には、社員としてITONAMIにジョインしました。

現在の仕事内容

株式会社ITONAMIは、岡山県の倉敷市児島を拠点に、デニム製品の販売と企画、そして“泊まれるデニム屋”として宿泊施設「DENIM HOSTEL float」の運営をしています。

能瀬さんの担当は、宿併設の直営店でのアパレル販売業務。「僕自身、ITONAMIで働き始めてから『なぜ、誰が、どのようにしてモノを作ったのか』をより強く意識して買い物をするようになりました。来てくれたお客さんには、服をより長く、大切に着てもらうためにも、作り手さんの思いをしっかりと伝えていきたいです」と語ります。

他にも、商品開発の企画やSNS運用まで幅広くこなし、時には宿泊施設の業務サポートをすることもあります。忙しい毎日ですが、「心の底から“これがやりたい”と思えることに全力で取り組めているので、日々充実しています」と能瀬さんは朗らかに話します。 

ゲストハウスに来てくれたお客さんに、アパレルのスタッフとしてデニムの製作過程を説明し、実際に購入してもらえた時にやりがいを感じるという能瀬さん。「岡山でかっこいいモノ作りをやっていると思いながら仕事をしていることや、この服はここがいいですよ、とITONAMIに来てくれた人に説明するのが楽しいし、やりがいがあります」。 

︎地方都市での暮らし

現在は岡山市内に一人暮らしをする能瀬さん。「市内は交通機関が充実していて、街の発展度合いもちょうどよく、暮らしやすい」とのこと。ちょっと車を走らせれば、海沿いでホッと一息つける時間があるのもポイントです。「岡山に来た当初から、仕事で疲れると海沿いの方まで車を走らせて、高台から瀬戸内海をよく眺めていました。とても落ち着くんです」。 
岡山に住み始めて3年。今では「観光大使をしてもいいぐらい岡山が大好き」になりました。「今は、自分たちが地方から日本中、そして世界へ面白いことを届けようと、チーム一丸になって頑張っています。東京の友達に『岡山から来た能瀬くんです』と紹介された時、誇らしい気持ちで胸を張れるようになりました」と笑います。

︎地方就職を考えている人へのアドバイス

自分のことを「ずっと悩んで結局飛び込まないタイプの人間だった」と分析する能瀬さん。「でも、地方に興味があるのならば、考え過ぎずに飛び込んでみたらいいよ、と今の自分だからこそ言えると思う」と話します。
「失敗したら、戻ればいいだけなんです。地方には、面白いことをやろうとしている人たちがいっぱいいて、人生の経験的には絶対プラスになりますから」と力強く答えてくれました。

その他の働き方

鹿児島県
CITY
自分流の働き方改革を地方で成し遂げ、仕事も生活もまるっと充実。
転職以前の神奈川での暮らしにおいては、仕事と家庭のどちらを優先するかで思い悩んできたという梅津さん。子育ても含めた家庭生活を優先すると決めて鹿児島に移住して以来、全てがうまくいくようになったと言います。プライベートが充実したからこそ、仕事に対するモチベーションも上がり、オンとオフのどちらもが、かつてないレベルで輝き始めました。家族4人で移住した梅津さんの〝輝きの道程〟に迫ります。 ※取材はzoomで行い、カメラマン、梅津さんは撮影前に抗原検査を実施した上でマスクを外しています
栃木県
CITY
やりたいことを実現するための地方就職。自分の選択を正解にする生き方。
「記者になる」という目標に向かって一直線に就職活動をし、栃木県の下野新聞社に入社を決めた多里さん。縁もゆかりもない栃木県をどうして選んだのか、そして栃木での生活をどのようにスタートさせ、充実させていったのか。重要なことは「人生で一番大事にしたいものを考えること」と語る多里さんに、自身の選択を自らの手で正解にしていくストーリーについて伺いました。
鳥取県
CITY
鳥取県 理想の英語教育を追求するために、理想の環境を求めてたどり着いた職場。
大学卒業後は、夢だったエンタメ業界へ。大手芸能プロダクションに就職し、主にマネージャー業に勤しんでいた三浦さん。当時担当していた10代、中高生たちの成長を見守る中、これまでにはなかった教育関係の仕事への興味が高まります。「教育を通して、子供たちの成長や、新しい世界に挑戦するための手助けをしたい」。 自身の英語スキルをより活かせる仕事として、英語科教員への転職を決意。教員免許取得のための2年間を経て、今年、鳥取県の青翔開智中学校・高等学校の英語科教員となった三浦さんに、現在の働き方や鳥取市での暮らしぶりについてお話を伺いました。
福島県
CITY
「やっぱり地元が好き」人を大事にする地元企業で、仕事と暮らしを充実させる。
キャビンアテンダントを目指して、地元福島から上京し、専門学校に通いはじめた白石さん。しかし、東京での暮らしを通じて地元の良さやありがたみを再認識し、地元福島で就職活動を行うことを決めて、福島建機株式会社へUターン就職をしました。地元での生活を充実させる白石さんに、地方就職した理由、そして現在のお仕事内容や生活について伺いました。