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広島県

口をついて出た「広島に行きます」宣言。暮らしてみたかった街で、やりたい仕事を目指して歩み続ける。

【広島県】Tamada工房株式会社
保川あづみさん
1993年、東京都生まれ。明治大学大学院 建築・都市学専攻を卒業後、都内でデザイン・内装を手掛ける会社に就職。その後転職活動を考える中で、大学時代に旅行で訪れた尾道の魅力を思い出し、広島への移住を決断。2020年12月に尾道市の隣の福山市にあるTamada工房株式会社に転職し、現在は注文住宅のコーディネーターの仕事に従事する。

サマリー

「人に寄り添ったものづくりがしたい」と考え、内装を手掛ける会社へ新卒入社した保川さん。働く中で、このままでいいのかと悩み、転職を考えるようになりました。そんな折、広島のアンテナショップを偶然見つけたことがきっかけで、広島での就職を検討し始めます。「人のつながりにたくさん助けられました」と語る保川さんに、広島への転職に至るストーリー、そして「好きな街で暮らして自分のやりたい仕事をする」生活について伺いました。

地方を選んだ理由

大学院で建築を学び、デザイン・内装を手掛ける都内の会社に新卒入社をした保川さん。施工管理をする部署で、やりたかった内装の仕事に従事していました。ところが、仕事を始めて1年ほど経った頃、このままでいいのかと悩み始めます。

「仕事で扱う内装は、チェーン店の店舗がほとんどでした。最初こそ楽しく仕事をしていましたが、同じデザインの繰り返しで、私じゃなくてもできる仕事だな、という気持ちが次第に大きくなるのを感じました」。

転職活動を始めた保川さん。小学生の時に東京に引っ越して以来、ずっと東京に住んでいたので、自然と転職先も都内の会社を候補に考えていました。そんな中、広島での就職を意識し始めたきっかけは、意外なところにありました。

「当時、施工管理のために訪問していた現場の近くに、広島県のアンテナショップがあったんです。実は学生時代、建築サークルの旅行で広島の尾道に行ったことがあり、独特な街並みが印象的で、いい街だな、面白いところだなあと、とても気に入ったんです。アンテナショップを見た時にそれを思い出して」。

それは2020年夏ごろの話で、コロナ禍の真っ只中。リモートでの仕事や、地方への移住者が増えているというニュースを目にし、ネットで「尾道 移住」と検索してみたそうです。

「その時はまだ東京で転職するつもりでした。でも、もし東京にいなくても仕事ができるのならば、尾道のような自分の好きな場所で暮らすのもありなんじゃないかという気持ちになったんです」。

ネット検索で広島県の移住サポートセンターがあることを知った保川さん。すでに心のどこかでは広島移住を考えていたようです。

「今振り返っても思い切りが良過ぎると思うのですが、その頃会社に、辞めようと思っていることを伝えたんです。当然、辞めた後どうするのか、と聞かれたのですが、その時に『広島に行きます』って勢いで言っちゃって。まだ移住サポートセンターの存在を知ったぐらいで、広島での就職活動なんて何もしていないのに」。

しかし、宣言をしたことで、かえって「広島移住がありだと思うようになっていった」という保川さん。宣言してしまったからには動かなければ、と移住に向けて準備を始めました。

地方での就職活動

広島での転職活動を開始した保川さんは、注文住宅の会社を中心に転職先を探しました。

「人に寄り添ったものづくりをしたいと思っていて。注文住宅はお客さんと二人三脚でつくっていくものなので、お客さんの思いを形にしたり、自分のカラーを出した提案ができるところがいいなと思っていました」。

最初は移住希望先の尾道で会社を探していましたが、候補となる会社が全然見つからなかったそうです。困っていた保川さんにアドバイスをくれたのが、移住サポートセンターの担当者でした。

「尾道には建設関係の会社が少なかったんです。そんな時に、隣の福山市はどうかと提案をいただきました。実は、提案してくれた担当の方は、福山市出身だったんです」。

福山市は広島市に次ぐ広島県第二の都市。福山市の情報が載っている就職サイトや情報誌を教えてもらい、そこで見つけたのが、Tamada工房株式会社でした。

「良さそうな会社だと思って、すぐに電話をしました。そしたら、さっそく福山で面接しましょう、って話がトントン拍子で進んでいきました」。

結果、保川さんはその面接で、Tamada工房株式会社への内定をもらいました。

「会社から内定の連絡があって、何月から働けるかを聞かれました。住む場所を決めなければなりませんでしたが、社長に不動産屋さんを紹介してもらって、家探しに協力してもらいました」。

ものすごいスピードで物事が決まっていく中、保川さんの気持ちも揺れ動いていたといいます。

「楽しみな気持ちは大きかったですが、ふと家族や友達と離れて寂しくなっちゃうなって思って、勢いで決断したことを後悔することもありました。それでも、きっと自由に動けるのは今のうちだし、嫌だったら戻ってくればいいだけだから、とりあえず行ってみよう、と前向きに考えるようになりました」。

こうして、保川さんの新しい生活が福山で始まりました。

地方都市の仕事と暮らし

Tamada工房株式会社では、コーディネーターという職種で、家をつくりたいお客さんの要望を聞きながら、家づくりのプランを考える役割の保川さん。人に寄り添う仕事に携わっている手応えを感じています。

「お客さんと打ち合わせをしながら、一緒に家づくりを進めていくのが主な仕事です。仕事は楽しいですが、難しさを感じることもあります。それでも、お客さんの要望に高い次元で応えられたり、自分の描いたものが形になったりするのはとても充実感があります。お客さんが現場を覗いた時に、家ができていく様子を見てうれしそうにしているのを見ると、こっちもうれしくなりますね」。

ゆくゆくは古民家の改修やリノベーションにも携わりたいという目標があるそう。

「リノベーションを手掛ける場合でも、建物の構造について詳しくならないといけないので、新築に携わりながらもっと学んでいきたいと思っています」と意気込みます。

福山に引っ越したことで、生活面にも変化がありました。通勤時間が短くなり、時間の使い方が変わったそうです。

「電車通勤がなくなったのはとても大きいです。東京にいた頃は片道1時間半くらいかけて通っていましたが、今は車で10分なので全然違います。朝の時間の使い方がガラッと変わりましたね。仕事から帰ってからも時間があるので、平日でもちょっと出掛けることができます」。

休日は、周辺を車でフラッと訪ねるのが好きなのだとか。「尾道や倉敷、瀬戸内海の方に行ったりしますね。車があるので、自由にいろいろと回れるのがいいです」。

移住当初は東京の友人と会えない寂しさも感じていましたが、Zoomなどのツールで話をすることもできるので、今はあまり寂しさは感じていないそうです。こちらに引っ越してからできた友人もいます。

「移住サポートセンターと移住者がつながっているので、人を紹介してもらったり、定期的に移住者同士で話す機会やイベントが開かれたりしています。他にも、ちょっと珍しいつながりですが、自分のInstagramで生活の様子を発信していたところ、コメントをくれた人が埼玉から岡山に移住した人だと分かり、会いに行ったこともありました」と楽しそうに話してくれました。

地方就職を考える人へのアドバイス

保川さんは自身の地方移住、就職について「人のつながりにたくさん助けられました」と話します。

「移住サポートセンターの方には特にお世話になりました。福山市を紹介してくれたり、転職先探しに必要な情報を教えてもらったりしました。地方の転職先をネットで探すのは難しいので、やはりその地方を知る人に相談すべきだと思いました。

他にも、福山市役所の方を紹介していただいたり、移住者同士をつないでいただいたりしました。移住のタイミングで知っている人がいるのは心強かったですね」。

地方就職を考える人へ伝えたいことを質問すると、「移住した後どうなるんだろう、といった不安は、誰でもあると思います」と保川さんは語り始めます。

「でも、助けてくれる人はいるものです。移住サポートセンターのようなサービスはもちろん、今ならSNSでつながる方法もあります。転職や移住をする時に、無駄に苦労をする必要は無いと私は思うので、遠慮せずに頼ってみてもいいのではないでしょうか。地方就職が向いていなかったと分かったら戻ればいいので、興味があるなら1回チャレンジしてみてもいいんじゃないかなと思います」。

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