ゼロからプログラミングを学び、地元への転職を実現。自らの行動で偶然を必然に変えて。
サマリー
コロナ禍をきっかけに取り組み始めたプログラミング学習をきっかけに考え始めたUターン転職。偶然の出来事と自らの行動によってキャリアを切り開いた小山さんに話を伺いました。
エンジニアとしての転職に至る最初のきっかけ
地元の専門学校を卒業後、業界大手の歯科医療器具の企業に歯科技工士として就職を決め上京した小山さん。転職を経験しつつも、ずっと東京で歯科関連の仕事を続けてきました。エンジニアとしてUターン転職をするという大胆なキャリアチェンジの最初のきっかけは、意外なところから始まりました。
「コロナ禍の直前くらいの出来事だったと思います。趣味のバンド活動で知り合った先輩がプログラミングスクールに通っているという話を聞いたんです。当時の私はプログラミングって何ですか、くらいの理解度だったんですが、話を聞いていると次第に面白そうに感じてきて、興味がわきました」
その後、コロナ禍による自粛の影響で、歯化医療器具の営業をしていた小山さんは、自由に使える時間が増えることに。その時ふと、以前先輩が話していたプログラミングスクールの話を思い出します。「何かスキルを身に付けたいな、と思った時に、先輩のことを思い出したのが最初でした。自宅でできるプログラミングスクールを調べてみて、受講することにしたんです」
もともと物を作ることが好きだったという小山さん。プログラミングを始めてみると、とても楽しかったとのこと。
「学生時代から図画工作が好きで、歯科技工士の専門学校に進みました。プログラミングも、物を作るという意味で共通しているので、自分にフィットしていると感じました」と語ります。
コロナ禍前にたまたまプログラミングに出会い、緊急事態宣言をチャンスと捉えてプログラミング学習に励んだ小山さん。この時期は、ちょうど小山さんがUターン転職について真剣に考え始めたタイミングでもありました。
地方就職を選んだ理由
東京で働き始めてからは、あまり地元を強く意識することはなかったと言う小山さん。
「いつか帰ろうとは思っていました。でも東京での生活に慣れてくると、友だちも増えて楽しくなってきて、そのまま東京にいようかな、とも思うようになっていました」
ところが、そんな小山さんに転機が訪れます。
「コロナ禍の直前の頃でしたが、母が亡くなったんです。そこでしばらく帰省していたのですが、その時に地元の方々にものすごく支えていただきました。地元から離れていたからより強く感じたのかもしれませんが、地元は本当にいいところだな、と強く心に残りました」
東京での生活を再開してからも、地元の人たちに支えてもらっていたと小山さんは言います。「最初の緊急事態宣言の中で、やはり一人でいる時間が多かったので父や妹とビデオ通話したり、祖父母と通話したり、地元の友達とオンライン飲み会をしたりしていました。そのうち、地元に戻るのもありだなとだんだん思うようになっていきましたね」
時を同じくして、プログラミング学習を進めていた小山さん。地元での歯科医療関連の求人が少なかったこともあり、ITエンジニアとしての職探しが選択肢として浮上しました。
しかし実務経験が全くないため、小山さん自身は地元でITエンジニアとしての転職はまず無理だろうと思っていたようです。「一旦は東京で未経験で採用してもらえるIT系企業に入り、それから島根に帰る、という流れになるだろうと予想していました」
小山さんの中で大きな転機となったのは、受講していたプログラミングスクール主催のUIターン就職イベントに参加し、Uターン就職者の話を聞いたことでした。
「当時はまだITエンジニアとしてUターン転職できるとは思っていなかったので、本当に軽い気持ちで参加しました。ですが、たまたま島根にUターンした方がゲストとして参加されていたんです。その方に、島根でも同じように仕事ができますか、とか都会から田舎になっても問題ないですか、などいろいろと質問する中で、リアルなお話をたくさん聞けて、島根で働くイメージを具体的に持てるようになりました」
また、島根県の産業の特徴もプラスに働きました。
「実は島根県は、人口あたりのITエンジニアの割合が高く、企業や求人の数も比較的多いんです。僕としては最初から島根に戻れることがベストなので、島根でITエンジニアとしての転職を目指すことにしました」
そして小山さんは、株式会社ブレイブスタジオにITエンジニアとして就職することを決めたのでした。
地方での働き方・暮らし方
島根でエンジニアとしてのキャリアを歩み始めた小山さん。学ぶことがたくさんあり、充実した毎日のようです。「就職が決まってから入社までの間も勉強を続けていましたが、まだまだ学ぶべきことがたくさんあります。現在はお客さまの問題を解決するための機能をバリバリ実装していきながら、日々勉強させてもらっています」
今後は自ら事業を起こす目標があるとのことで、「ゆくゆくは人の生活を楽しませたり、彩りを与えられたりするようなサービスづくりやものづくりができたらと思っています」と語っていました。
また、実家で暮らす島根での生活は、東京に比べてリフレッシュしやすい環境だと言います。
「休日はドライブで日本海側の海のきれいな場所に行き、自然を満喫しています。東京にいた頃も、山梨や鎌倉など自然が多いエリアに友人とドライブに行っていたのですが、改めて山陰地方の自然の豊かさを実感しています。それから、島根に戻ってきてからゴルフを始めたんです。実は父親がゴルフ好きでして。隣の鳥取県に大山という山があって、ゴルフ場がいくつかあるのでよく行きます。コースを回っていると景色のいいところがたくさんあって、自然を感じながら父親や友人、昔お世話になっていた地元の人とも一緒にプレーすることもあって、楽しいですね」
地方就職を考える人へのアドバイス
地元島根で充実した生活を送る小山さん。東京での生活を振り返って、こう語ります。
「移住してみて思うことは、東京にいた時はいろいろとストレスがあったなということです。電車での通勤があったり人も多かったり…。当時はそれが普通だと思っていたのですが、そこから離れてみると、普段の生活から小さなストレスを感じていることが多かったんだな、ということに気が付きました。
私のように就職するまで地元で過ごした地方出身者にとっては、学生時代の友人たちと自然を見ながら休日リフレッシュするというのはやはり地元でしかできません。東京で生活していると忘れがちですが、そういうところにも人生の楽しさがあると言えるかなと思います」