働き方紹介Before → After
新潟県

楽しそうに生きる大人がたくさんいる だから地方を選んだ

【新潟県】中越防災安全推進機構ムラビト・デザインセンター コーディネーター
井上有紀さん
1993年東京生まれ。明治大学農学部在学中、休学して1年間を新潟で過ごす。卒業後は「にいがたイナカレッジ」という地方インターンシップ制度を運営する中越防災安全推進機構ムラビト・デザインセンターに就職し、新潟県長岡市へ移住。学生時代に立ち上げた「コメタク」の活動も続けている。

サマリー

かねてから地方農村に興味を持っていた井上さん。彼女の新潟への移住は2回ありました。1回目の移住は大学3回生を終えたとき。休学して、新潟に1年間滞在したのです。そこで出会ったのは、のびのびと自分らしく生きる大人たちでした。知らぬ間に「いい大学を出て、大きい会社に就職するのが正解」という固定観念に縛られていた自分に気付き、価値観が大きく変わったといいます。休学を終え、東京へ戻って復学し、都心部で就職活動をしたものの「やっぱり新潟で働きたい」と決意。卒業後、新潟の社団法人に就職して2回目の移住を果たしました。現在は、学生向け地方インターンシップのサポート業務を担当。井上さんにとってローカルは「固定観念から解放し、新しい視点を持たせてくれる場所」でした。

井上有紀さん
新潟県長岡市ってどこ?

Q.1 新潟暮らしを経験し、考え方はどう変わった?

Before

東京生まれ、東京育ちの井上さん。両親も都会育ちで、田舎とはあまり馴染みのない環境にありました。けれども、中学校を卒業する頃には「農学部に進みたい」と考えていたそう。「小さい頃から食べ物に興味があったんです。家族でキャンプなどに出かけることも多く、自然も大好きでした。単純なんですけど “食べ物×自然=農学部”という図式です。当時の私は、農村に対して漠然とした憧れを抱いていました」

進学した農学部では、地域農村について研究するゼミに所属。3年生の秋には、ゼミの調査実習で新潟を訪れます。実習の内容は、農村を取材して課題を探り、その解決策を提案するというものでした。

実習を終えた井上さんは、帰京前、ずっと気になっていた新潟市西区内野の書店「ツルハシブックス」へ立ち寄ります。「ツルハシブックス」は、「人生の旅」の途中で立ち寄るゲストハウスのような本屋というコンセプトの書店です。店長の西田さんと話し込むうち、思わず「実習の短期間では、地域の表面的なことしかわからないのに、そんな自分たちが地域の方に“提案”するなんて……」と、実習を通して感じたジレンマを打ち明けていました。

After

翌年の春、井上さんは再び新潟にいました。大学4年生に進む前に1年間休学し、新潟で暮らすことにしたのです。「実習での経験を経て、実際に地方に住んでみようと思いました。いろんな地域の長期滞在型プログラムを調べたんですが、結局、ツルハシブックスさんとのご縁で新潟に決めました。その時はまだ、新潟で何をやるかが決まっていなかったので不安もありました。でも、それ以上に言葉にできないわくわくがあったんです」

こうして移住生活をはじめた井上さん。一方、4年生となった友人たちは就職活動に勤しんでいます。そんな友人たちを横目に井上さんの気持ちは揺らいでいました。「地方や農業に惹かれながらも、その頃はまだ自分の“興味関心”と“就職”は別ものだと考えていました。1年後に東京に戻ったら、結局は名のある企業を目指して就職活動することになるんだろうな、と。両親や学校の先生からの刷り込みで、やっぱり“いい大学を出て、大きい会社に入ることが正解”なのではないかと思い込んでいたんです

 

しかし、新潟で暮らすうち、次第に視野が広がっていったといいます。「ツルハシブックスには、新潟県内のおもしろい人々がたびたびやってきました。やりたいことを見つけて起業した人、各地を転々と旅するように生きる人、学歴はなくとも深い専門知識を持つ人……。いわゆる“安定”とは程遠いところにいるのに、みんなものすごく楽しそうだったんです。“自分もこうなりたい”って思える格好いい大人がいっぱいいることに衝撃を受けました

Answer

格好いい大人たちに出会い、「いい大学を出て、大きい会社に入ることが正解」という固定観念から解放された。

Q.2 仲間とはじめた活動、そこで得た変化とは?

Before

井上さんは大学の同級生や同世代の友人たちの話に、違和感を抱いていました。同世代の多くが“一人で生きようとしている”と感じたんです例えば就職を考えるときにも、資格を取るとか、人と違うスキルを身に付けるとか、みんな“何らかの武器を携えて社会に乗り出さなくちゃいけない”と思っているんです。でも、それって本当に豊かなことでしょうか? 社会ってそんなに孤独なんでしょうか?

一方で、メディアで取り上げられる“豊かな暮らし”は、完全自給自足などハードルの高いものばかり。「もっと小さくてもいいから、力をあわせてやれるようなことがあるんじゃないかって思っていました」と井上さん。こういった思いのすえ、井上さんは「答えを確かめるのは、自分の経験しかない」と移住を決意しました。

After

1年間の休学を決心し、新潟暮らしをスタートした井上さんは、ある活動を始めました。ツルハシブックスを通じて知り合った友人2人と人にお米に興味を持ってもらうための活動「コメタク」を立ち上げたのです。きっかけは、町の老舗のお米屋さん、飯塚商店さんとの出会いでした。店主の飯塚一智さんは、いろんな地域のお米を食べ比べてきた方で、お米にまつわる知識がとにかく深い。日々食べるお米のことを何も知らなかったことに気付かされました。

コメタクの3人は、まず近隣に住む大学生のための「朝ごはん会」を企画しました。「好きなお米を選んで、炊いて、食べる……それを丁寧にするだけでも生活が豊かになるってことを伝えたかったんです」。他にも、お米の食べ比べワークショップを催したり、イベントで飯塚商店のお米を販売したり。コツコツと活動を重ねるうち、井上さんは「自分たちのやっていることは間違っていない」と感じはじめました。ブログやSNSを通して、同世代から共感の声が寄せられるようになりました。

季節が一巡し、1年の移住生活を終える頃、井上さんはすっかり町に溶け込んでいました。商店街の魚屋さん「元助」に立ち寄れば、「お出汁に使って~」と魚のアラや海老の頭を渡されます。「マルカク醸造所」にお味噌を買いに行けば「おまけ、入れとくよ」とシソの実の味噌漬けをもらいます。

飯塚商店の飯塚さんは、すっかり「新潟のお父さん」です。コメタクの活動にもたくさんの仲間ができ、そのときできる人ができることをする、というスタイルに。人と人とが関わり合いながら、それぞれが自分らしく生きる——それはそんなに難しいことじゃない。新潟での暮らしは、井上さんにそう教えてくれました。

 

Answer

町の人々と深くつながることで、社会との関わり方が見えはじめた。「一人で生きようとしなくていい」と感じられた。

Q.3 働くうえで大事なこと、どう変わった?

Before

休学中の1年の移住生活を終えた井上さんは、東京へ戻り、復学し大学4年生になりました。休学の条件として「1年後には東京へ戻り、就職活動をする」という約束を両親と交わしていたため、リクルートスーツに身を包みます。

都内に本社がある農業系雑誌を出版する企業から内定をもらい、就活は無事終了。夏休みになると「にいがたイナカレッジ」という地方インターンシップの制度を利用してまたまた新潟を訪れ、長岡市の山間部の集落に滞在しました。さらに大学も後期に入ると、東京と新潟を行ったり来たりするように。「もうその頃には“卒業後も新潟にいたい”と思うようになっていました」

井上さんが就職先について相談したのは、にいがたイナカレッジを運営する中越防災安全推進機構ムラビト・デザインセンターの職員さんでした。すると、思いも寄らない返事が……。「そもそも求人すらしていなかったのに“うちへおいでよ”と言ってもらい、都内の企業のほうの内定を辞退しました。両親には事後報告し、しばらくは険悪な空気になってしまいました……。今思えば、ちゃんと相談すべきだったと反省しています」

After

こうして、2017年4月からムラビト・デザインセンターの職員となった井上さん。卒業と同時に新潟へ引っ越し、2回目の移住を果たしました。社会人になった今、井上さんが仕事において重要だと感じているのは「どこの会社で働くか」以上に「誰と働くか」だと言います。

「学生時代から、地域活性に携わるさまざまな人を見てきました。中には、ちょっと上から目線だったり、集落で暮らす人の声を拾えていなかったりする人もいて。そういう人たちは、課題を解決したいと思うあまりか、どこか楽しそうじゃなかったり、今を肯定できていなかったりしたような気がしました。でも、職場の先輩たちは地域の今を前向きにとらえ、地域や大学生と関わることを心から楽しんでいるように見えたんです。振り返ってみると、私が就職先を変更した最大の決め手は、“新潟に移りたい”ということ以上に、“この人たちと一緒に働きたい”という思いだったのかもしれません」

 

上司や先輩に恵まれた井上さんは、充実した日々を過ごしています。「主な仕事は、学生向けの地方インターンシップのコーディネートです。都市部で説明会を開いたり、滞在中の学生をサポートしたり。でも、地域のために何かするって、いろいろな関わり方があると思うんです。わたしの場合は移住することでした。行き来するのも、遠くから関わるのもアリ。これから私がすべきことは、そんな多様な入り口をつくっていくことだと考えています」

Answer

実際に仕事をはじめたら、「どこの会社で働くか」以上に「誰と働くか」が大切なことに気付いた。

Q.4 日々の暮らしで感じること、どう違う?

Before

東京時代は毎日忙しく過ごしていたという井上さん。帰宅時間はだいたい22時を越えていたといいます。「興味のあることをいくつもやっていたい性分で、いつもスケジュールをパンパンに詰め込んでいました。大学の授業やゼミ、地方でのインターンシップ、個別指導塾の講師のアルバイトなど。また、農業系のインカレサークルの活動にも、力を入れていて、伝統野菜を育てる農家さんに会いに行ったり、留学生向けに和食の魅力を伝えたりしていました」

そのため、実家暮らしだったにも関わらず、外食中心の食生活を送っていたといいます。「食べることが好きなので、忙しいからってファストフードで済ませたりはしないんですけど。自分で料理することはほとんどなかったですね

 

After

現在は、ムラビト・デザインセンターから歩いてすぐ、長岡市内のシェアハウスで暮らしています。平日はもちろん、土日もあちこち飛び回る日々は変わらないものの、食生活が大きく変化しました。常に誰かがどこかでお米や野菜をもらってくるので、キッチンには食材があふれています。今では、コメタクの活動の影響もあり、日々料理をすることが当たり前になってきています。一人一品つくって、シェアハウスのみんなで分け合ったりしているんです」。

取材移動中、学生時代にインターンシップでお世話になった集落の方と偶然出会い、野菜を分けもらった井上さん。「東京に住んでいたころにはあり得なかったことですよ。本当にありがたいことです

そんな井上さんに「地方の暮らしのいいところは?」と尋ねると、「生きている感」という答えが返ってきました。「毎日の食事を大切にするだけでも、生活はぐっと豊かになると思います。ここではいつも田んぼや畑を目にするので、自分たちの食べ物がどこからやってくるのかもよくわかります」。自然があって、誰かが丹精込めてつくった作物をいただいて、それを自分の手で調理し、誰かと一緒に食べる。そんなシンプルな循環に身を置くことが、生きる実感につながっているのかもしれません。

 

Answer

自分の手で食事をつくり、誰かとともに生活する。そんな毎日に、生きていることを実感するようになった。

編集後記

長い間囚われていた固定観念から解き放たれた井上さんは、休学中に地方での暮らしを経験することで視野をぐっと広げました。今、新潟に根を下ろした井上さんは「これからは自然体でいたい」と笑って言います。そんな井上さんを見ていると「縁」という言葉が浮かんできました。ゼミの実習でたまたま訪れた新潟、そこで出会った書店さんにお米屋さん……数々の縁がつながって、今があります。人と人とが支え合わねばならないローカルでは、そこで結ばれる縁こそが宝。物怖じせず、人懐っこい笑顔でえいっ!と飛び込んだ井上さんは、すでにたくさんの宝を得ていました。