働き方紹介Before → After
岩手県

病気をきっかけに海洋研究者を諦めましたが、岩手県大槌町に残って漁師とITエンジニアの二刀流になりました。

【岩手県】漁師(新おおつち漁業協同組合所属)・ITエンジニア
中本健太さん
1990年埼玉県生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生産環境科学専修卒業。大学院博士課程在学中に研究のため岩手県大槌町に移住する。博士号取得後、2019年に東京大学大気海洋研究所の特任研究員として勤務。2020年に研究員を辞職し、現在は漁師として沿岸漁業や養殖漁業に従事する傍ら、IT企業でも勤務する。

サマリー

小さい頃から海と魚が大好きだった中本さん。海洋研究者となり、研究のために岩手県大槌町に移住します。博士号取得後も大槌の研究所で研究員として働いていた中本さんですが、程なく転機が訪れます。肺気胸という病気を患い、海に潜って研究することができなくなったのです。研究者としてのキャリアを諦めることにしましたが、それでも海と大槌町が好きだった中本さんは、地元のIT企業との縁もあり、ITエンジニア兼漁師としての人生を歩み始めました。

中本健太さん
岩手県大槌町ってどこ?

Q.1 暮らしはどう変わった?

Before

3歳の時に両親に海釣りへ連れて行ってもらったことがきっかけで、海と釣りが大好きになったという中本さん。子どもの頃から海洋研究者の道を考えていたそうで、東京大学農学部に進学後、海洋生態系についての研究を始めます。

当時の生活は、埼玉の自宅から電車に乗って1時間ほどかけ、千葉県柏市にある研究室に通っていました。そこで日中は研究をし、ご飯を食べて家に帰る、そんな生活でした。「研究はもちろん好きでしたが、生活自体を気に入っているわけではありませんでした。研究のためなら我慢できるけど、同じ生活を研究以外のことのためにやるのは無理だと思います」。

岩手県大槌町は、生物採集のために度々訪れていました。「大槌に行き、スキューバダイビングで海に潜って生き物を採集して、それを千葉県柏市にある研究室に持っていき研究する、ということを2年ほど続けていました」。

岩手で潜り、千葉で研究し、埼玉に帰る。移動時間が無駄だと感じた中本さんは、教授に大槌町に暮らして研究がしたいという希望を申し出ます。教授から許可をもらい、中本さんは移住することになりました。

After

大槌町に移住したことで、まず研究室へ行くための電車移動が無くなりました。サンプル採取のためのダイビングや、研究所への移動も、同じ地域で完結しているのでずっと楽になりました。大槌に住むようになったことで、サンプルの採集・研究・暮らしが一つにまとまりました。

趣味だった釣りも、より充実しました。「休日だけでなく、平日の夜にも釣りに行けるようになりました。このあたりは海と山が近いので、山のアクティビティも結構できます。私は川釣りにもよく行くのですが、町内の川で釣りができるのはいいところですね」。

そして今年、同じ岩手県内で出会った方と結婚した中本さん。奥さまと出会ってからは一緒に出掛けることも増えたと言います。「最近は家を建てるための打ち合わせが忙しくて」と日々の充実ぶりを語ってくれました。

Answer

拠点を地方に移すことで、研究と生活拠点が一つにまとまり、仕事も生活もより充実した。

Q.2 仕事はどう変わった?

Before

大槌町に移住し、研究を続けた中本さん。2019年には博士号を取得しました。「大槌でもう少し面白いことができると分かってきていたので」さらに研究を続けたいと大槌町に残り、東京大学大気海洋研究所の特任研究員として働き始めました。

意外な形で転機が訪れたのは、翌年2020年でした。中本さんは、肺気胸になってしまいます。肺気胸とは、肺に穴が空き、空気が漏れてしまう病気で、スキューバダイビングをすることはできなくなります。

潜ることができなくても、研究自体を続ける方法はありました。一つは、他の人に潜ってきてもらい、そのサンプルを自分が調査する方法。もう一つは現場から離れ、データ解析にシフトする方法です。しかし中本さんは、「潜れないならこの研究の仕事を続けている意味は無い」と思ったそうです。

After

病気を患い、海に潜っての研究ができなくなった中本さん。そんな状況を変えるきっかけとなったのは、地域の人とのつながりでした。自身の状況について周りの人に話していたところ、たまたまIT企業の社長に、「うちで働かないか」と声を掛けてもらったそう。その社長さんというのは、中本さんが通っていた整骨院のスタッフのお父さん。彼が経営するIT企業は、魚市場や漁業協同組合向けにシステムを作っている会社でした。海や海洋生物には当然詳しく、研究者時代にプログラムを扱うことがあった中本さん。これまでの経験が意外なところでつながり、転職することを決めたのでした。

病気になったことを、「神様に『この仕事を辞めなさい』と言われていると思った」と語る中本さん。迷いはなかったと言います。

現在はそこからさらにステップアップのために転職。フルリモートで働ける、オンライン接客サービスを開発する企業でエンジニアとして働いています。現在はスマートフォン向けのアプリ開発のための言語を学んでいるそうで、新しい技術に合わせて自分の技術も向上させています。

Answer

地域の人とのつながりによって新たなキャリアの道が開け、これまでの経験を違う形で生かせる仕事に就くことになった。

Q.3 海との関わり方はどう変わった?

Before

海に潜り、海洋生物の研究をしていた中本さん。病気をきっかけに研究者を辞め、ITエンジニアに転職します。海が好きだったため、趣味の釣りを通して、海との関わりは続いていましたが、『漁師』として海と関わろうと考えます。

「IT企業の方のお客さんが漁協なので、仕事にも活かせそうだったこともあり、漁業を始めることにしました。そもそも海も魚も好きだというのが大きいですけれど」。

漁師として海に出るには漁協に入る必要があり、そのためには一定期間、漁の手伝いをしていた実績が必要でした。海に潜って研究をしていた中本さんも、漁業の経験はありません。近所の漁師さんに漁を手伝わせてほしいとお願いし、その半年後、漁協の組合員になることができました。漁船は先輩漁師から格安で譲り受け、漁師デビューを果たしました。

After

現在は、平日の何日かは朝早く海に出て漁をし、家に帰って10時からエンジニアとしての仕事を始めるそうです。「誰かに雇用されて漁業をする選択肢もありましたが、自分でやるメリットは、好きな時間でできることですね。兼業が可能なんです」と中本さん。

漁は沿岸漁業がメインで、ウニ、アワビ、ナマコの漁獲や、タコを狙ったカゴ漁、カレイやヒラメを狙った刺し網漁をしています。昨年から養殖も始めました。「まずはあまり手間がかからないホヤに取り組んでいます。今後は他の海産物もやっていきたいですね」。

研究者としての知識は、今の仕事にも役立てられているそう。「魚については、私の方が地元の漁師さんから『これ何の魚?』と質問されます。近年は温暖化で、この辺の人からすると見慣れない魚が南から来るんです。海藻についても、私の研究テーマが海藻が作りだす生態系だったこともあり、即座に見分けられます。そういう意味では研究も役立っています」。

Answer

自身の興味である「海」を軸に、これまで積み重ねてきた経験を役立てながら、新たなチャレンジをしている。

Q.4 地域に対する考え方はどう変わった?

Before

元々は研究者としてのキャリアを考えていた中本さん。「住む場所は自分で決められないと思っていた」と言います。
「研究者は、どこに所属するかによって住む場所が変わります。応募して受かったところに行くので、北海道から沖縄まであり得ます。仕事について『自分のしたい研究をする』という軸で考えるなら、住む場所に関して自分に選択肢は無いと思っていました」。

一方で、病気で研究を辞めようと思った時も、地元の埼玉や大学のあった東京に戻る選択肢は考えなかったそうです。「肌感として、こっちの方が面白いなと思っていた」とのこと。
「たまたま声を掛けてもらったことで大槌に住み続けられましたが、そうでなくても、今と同じように釣りができるところでITエンジニアをやっていたように思います。人混みは好きではないですし、大人数でワイワイガヤガヤすることも好みません。少人数のコミュニティの中であれば活躍できますが、大きなコミュニティに入って何かするようなタイプではないです。趣味も釣りですし、自分の性格を考えても、地方の方が合っている感覚は、移住した頃からありました」と自身を分析しています。

After

移住当初は、大槌町にずっと暮らし続けるとは考えていなかった中本さん。ですが、大槌町に対するポジティブな気持ちは、住み始めた頃からありました。「人の優しさを感じることが多くて、いいところですよ。移住してきた時も近所の方が気さくに話しかけてくれて、ウェルカムな雰囲気の方々が多いと感じられました」

「移住してからは、週末に近所の人と飲むこともあります」とも話していました。移住前の生活ではご近所付き合いに縁がなかったので、最初はその距離感に驚いたそうです。

「近所の人と距離が近いですね。家にやって来て、『ちょっとこれ貸してくれない?』といった物の貸し借りもよくします。技術の貸し借りもありますね。ちょっとした工事をやってもらって、代わりに私はパソコンやスマホ関連のことをやってあげる、なんてこともあります」。

最初こそ驚き、斬新だと感じていたそうですが、大槌の生活に慣れるうちに「これもありなんだと考えるようになり、むしろこの方が生きやすいと思うようになりました」と笑って答えてくれました。

Answer

地域の人たちとの近い距離感に最初は驚きがあったが、次第に心地よさを感じるようになった。

編集後記

海と魚が好きという軸を一貫して持ち続ける中本さん。特に漁について質問した際は、とても楽しそうに回答や説明をいただき、漁師としての生活を心から楽しんでいる様子が感じられました。
インタビューで印象的だったことは、中本さんと町の人たちとの関係性です。IT企業への転職時に声を掛けてくれた社長や、漁協に入るために漁の手伝いをさせてくれた近所の漁師さんなど、中本さんには、重要なタイミングで必ず協力者が現れているように見えました。ですが、それは偶然ではないように思います。きっと中本さんは、整骨院で仕事の話をしていたり、近所に住む漁師さんを把握してお願いしにいったりと、自らの行動やコミュニケーションで協力者を引き寄せていたのだろうと感じました。声をあげたことによって具体的な援助が返ってくるのも、ローカルならではの良さであるように思いました。