地方で生きる

地方移住した家族に聞く「地方での仕事・子育て・暮らし」

子どもは自然あふれる豊かな環境の中で育てたい!

子育てを機に、新しい暮らし方を検討したことはありませんか?

いま、首都圏の混み合った環境での子育てに抵抗を感じる人は多く、地方出身でのびのびと育った人ほど、その傾向にあるようです。

しかし実際に移住するとなると、子どもの教育環境や子育て支援制度、仕事や経済的な面など、考えなければならない課題がたくさんあります。

今回のインタビューでは、東京から東北へ移住し、子育てをしている2組の家族に「移住を実現するまでの道のり」と、「地方で暮らすことで仕事・子育て・人間関係・毎日の暮らしがどう変わったのか」について、話を伺いました。

一歩踏み込んだ情報に触れることで、「移住」をより具体的に感じられるかと思います。地方での子育てに関心のある方、家族での移住を検討している方は、ぜひ参考にしてください。

浦田大輔さん一家はこんな家族

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浦田大輔さんは、東京都杉並区生まれ。毎日の通勤ラッシュが苦手で、のびのびした環境で暮らしたいと考えるように。2009年、妻・こずえさんの故郷である岩手県雫石町に、妻と幼い長女とともに移り住んだ。移住後2年間はこずえさんの実家で暮らし、その後、2度ほど引っ越しをして、現在は雫石町の中心街に住んでいる。移住時に2歳だった長女は中学1年生、移住後に生まれた次女は小学2年生になる。現在はJAのグループ会社でウェブデザイナーとして働きながら、さまざまな地域活動に参加し、充実した毎日を送っている。

 

―移住に踏み切ったきっかけは?

私はもともと、ごみごみとした狭い場所が苦手です。当時住んでいた都内の自宅から港区田町にある職場へ通うのに、毎朝1時間半ほど通勤ラッシュにもまれなければならず、それが苦痛で。漠然と、「いつか通勤ラッシュのない地方に暮らしてみたい」と思っていました。

そんなときリーマンショックが起き、勤めていた会社の経営状態が悪化したのを機に、転職を考えました。でも、都内ではいい条件の仕事がなかなか見つからなくて。それならばいっそ、地方に移住してみようと思ったんです。

そして、移住するなら妻の実家のある岩手県雫石町がいいかなと。環境のいい場所ですし、妻もいずれ帰りたいと思っていたようで、移住には賛成でした。移住を思いついてから、3ヶ月後には妻の実家へ移り住んでいました。

 

―それは早いですね。転職活動はどのようにされたのですか?

仕事を続けながら転職活動をしましたが、当時はまだUIターンをする人のための転職情報が少なかったので、大手派遣会社を通じて仕事を探しました。その派遣会社には、最初の数ヶ月は派遣で働き、その後正社員登用される紹介予定派遣の案件があったので、それを利用してJAのグループ会社のウェブデザイナー職に就きました。

 

―お住まいはどのように探したのでしょうか。

最初の2年間は、妻の実家で両親と同居しました。そこは雫石町の中でも山奥で、自然豊かな環境にあります。上の子はまだ2歳でしたが、雫石町内には広々とした公園や湖、牧場など、遊ばせるところもたくさんあり、のびのびと子育てをすることができました。

会社は盛岡で、通勤時間は車で約1時間。当初会社の人からは「1時間もかかるの? 大変だね」と言われました。でも、東京の通勤ラッシュに比べたらラクなものです。中心部へ引っ越した今も、通勤には40分くらいかかりますが、四季折々の風景を楽しみながらストレスなく通っています。

 

―移住して10年。地方での暮らしが、お子さんにどのような影響をもたらしていると感じますか?

子どもの教育に関しては、私も妻も基本的に「好きなように生きなさい」というスタンスです。こちらでの子育ては、都会と違って、のんびりした雰囲気なのがいいところだと思います。子どもたちはおおらかな環境の中で、学校だけではなく、地域社会の中でもいろいろなことを体験し、精神的にも大きく成長しているのではないかと感じています。

娘たちは縁あって、民謡(歌と踊り)、三味線を習うようになりました。夏や秋になると地元の祭りで民謡を奉納するのですが、大活躍です。各地で行われている民謡ショーにも出演しています。本人も楽しそうですね。こうしたことも、東京にいたらできなかった体験だと思います。

 

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―地方は地域社会とのつながりが強いイメージがあります。地域のコミュニティにはどのように入っていったのですか?

そうですね。やはり人口が少ないので、自ずと助け合いの意識が強くなるのだと思います。移住当初はコミュニティになかなか入れませんでしたが、子どもが小学校に入ってPTA活動をするようになり、人間関係が一気に広がりました。今はPTA関係だけではなく、近所や商店街の人など、東京にいた頃とは比べものにならないくらい交友関係が充実しています。

地元の神輿会の方に誘われて、お神輿も担ぐようにもなりました。そのほかにも、町おこしの活動「地域づくり会議」に参加したり、商工会の青年部に入ったり。こうして地域の活動に参加することが楽しくて、一年中、暇にしている時間がないですね。

こちらに移住してから、地域への愛情、帰属意識というものがはじめて芽生えた気がしています。子どもたちにも、自分の生まれ育った場所を愛する気持ちを大切にしてほしいなと思っています。

 

浦田家の家の裏から見える風景 浦田家の家の裏から見える風景

武内良太さん一家はこんな家族

武内良太さんは秋田県横手市出身。東京では、山形県出身の妻・奈美さんとその母親、そして小学校3年生、1年生、1歳半の3人の娘とともに世田谷区に暮らしていた。仕事は中国料理の調理師。「地元秋田県で自分の店を開きたい」という夢を実現させるため、2019年3月、家族とともに秋田県秋田市に移り住んだ。現在は中国料理店で働きながら、自身の店をオープンするための準備をしている。

 

―移住を決めたきっかけとは?

調理師になったときから、いつか秋田に帰って自分の店を持ちたいというのが夢でした。結婚するときに妻にもそれを伝え、「一緒にやっていこう」と話していました。

東京では、中国料理の師匠のもとで働いていました。師匠がそれまで営んでいた駅前の店舗を閉め、自宅と同じ建物に店舗を移転して再スタートを切るというので、自分もこの機会に地元に帰って、店を出したいと考えました。

 

―家族6人となると、大移動ですね。引っ越しも大変だったのではないでしょうか?

昨年の3月に引っ越す予定で仕事を探し、住む家も手配したのですが、引っ越し業者に「その時期に豪雪地帯への引っ越しはできない」と言われてしまって。やっと引き受けてくれる業者を見つけたのですが、費用が予想以上に高くて驚きました。

でも、秋田市の子育て世帯移住促進事業で住宅賃貸費用の助成金が受けられ、とても助かりました。初期費用として20万円、子育て加算として、子ども一人につき10万円の支援を受けることができました。この支援がなければ、引っ越しは実現しなかったと思います。

 

―移住当初のお子さんたちの様子はいかがでしたか?とくに小学校に通う上のお子さんは、転校先にうまくなじめましたか?

「ちゃんと友だちができるかな」などと少し心配していたのですが、子どもたちはこちらが思っているよりもたくましく、すぐに地元の子たちと仲よくなりました。

長女はすでに小学校にあがっていたので転校することになりましたが、心機一転できて、かえってよかったようです。

東京で通っていた学校は都内でも有数のマンモス校で、生徒の人数が多すぎて先生が1人1人の生徒にかけられる時間にも限りがありましたが、今は少人数制で、先生もしっかり見ていてくれるので安心です。秋田県は学力が高いことで知られていて、勉強についていけるかなとも思ったのですが、それも取り越し苦労でした。先生の教え方がいいのか、それまで苦手だった算数でも授業中に問題を一番に解けるようになり、テストの点数も上がりました。

東京にいるときはあまり学校のことを話してくれなかったのに、今ではその日にあったことをよくしゃべるようにもなってくれて。こちらに来て、いろいろな面で成長しているのだと思います。

 

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―自然豊かな環境の中、お子さんはどのように過ごしていますか?

横手市の実家では農業をやっていて、お米を中心に、野菜もつくっています。昨年の春の田植えは家族で手伝いに行きました。子どもたちもジャガイモ掘りをさせてもらって、調理して食べました。自分で収穫した野菜は特別においしかったようです。こちらでは田んぼや畑が身近にあるのが、大きな魅力ですね。

子どもたちには、できるだけ多くの体験をさせてあげたい。とにかくいろいろなものに触れて、選択肢が広がればいいなと思っています。私自身、親が農業をする姿を見ながら育ち、飲食の仕事をやっていることもあり、子どもたちには「食」の大切さをもっと知ってもらいたい。当たり前のように毎日食べているものも、誰かががんばって育てたり、つくったりしているということを、体験を通して知ってもらえたらいいなと思っています。

 

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―ご自身のお店をオープンする日も、近いですね。どんなお店になるのでしょうか。

将来的には、農家の仕事を継いで米や野菜を育て、自分でつくった農作物を材料として使った中国料理店にしたいと考えています。昨年の田植えの手伝いで、やはり農業は一つひとつの作業にこだわりがあって、すごいなと感じました。これから両親のやっている仕事を、少しずつでも学んでいければと思っています。

今は中国料理店に勤めながら、店を出すための物件を探しているところです。目先の目標は、まずは自分の店を出すこと。この2月には4人目が生まれる予定でさらに賑やかになりますし(笑)、ますますがんばっていきたいですね。

まとめ

通勤ラッシュのない環境を求めて移住した浦田さん、自身のお店を開店するために移住した武内さん。どちらもご本人だけではなく、ご家族も地域になじみ、のびのびと地方生活を楽しんでいます。

子どもの教育環境は大切ですが、子どもは親の生き方を敏感に感じとりながら育つもの。よりよい子育てをするためには、まず親自身が、「イキイキと自分らしく生きること」が大切なのかもしれません。

まずは、自分なりの夢のある移住計画を立ててみてはいかがでしょうか。


LO活では、移住計画のご相談や地方就職のお悩みに、地方就職専門の相談員がご対応いたします。
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通勤ラッシュのない環境を求めて移住した浦田さん、自身のお店を開店するために移住した武内さん。どちらもご本人だけではなく、ご家族も地域になじみ、のびのびと地方生活を楽しんでいます。

子どもの教育環境は大切ですが、子どもは親の生き方を敏感に感じとりながら育つもの。よりよい子育てをするためには、まず親自身が、「イキイキと自分らしく生きること」が大切なのかもしれません。

まずは、自分なりの夢のある移住計画を立ててみてはいかがでしょうか。


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