地元九州の老舗に就職。手に入れたのは、仕事と夢、両方に全力投球できる環境。
サマリー
就職活動をはじめた当初、桑原さんの企業選択軸は「とにかく待遇のいい会社を探そう」でした。理由は、仕事と並行してやりたい「小説を書く」という目的があったから。小説家は高校時代からの夢。「創作活動を続けていくには、生計を立てなければならない。“仕事は仕事、夢は夢”と割り切って、とにかく給料が良くて早く帰れる待遇のいい会社を探そう」と考えました。しかし、就職活動はうまくいきません。そんなとき、故郷・福岡の老舗企業に出会い、仕事に対する意識が変わります。「企業活動とは、利益を得ることだけじゃない。地域に貢献することでもあるのだ」という考え方に感銘を受けたそうです。現在は、福岡へ戻り、その老舗企業の店舗で働いています。もちろん、夢を追いかけながら。桑原さんは今、「仕事と夢は一体のもの。仕事が充実していなければ、夢を追うなんてできない」ことを実感しています。
Q.1 仕事選びの基準、どう変わった?
Before
桑原さんは、福岡生まれ・福岡育ちの九州男児。高校時代は野球部に所属し、汗を流す毎日でした。スポーツ少年だった桑原さんですが、進学を前に将来について考えたとき、ある明確な夢を抱くようになりました。それは「小説家になりたい」というものでした。
「昔から漫画が好きで、自分もこんな漫画が描けたらなぁと漠然と思っていました。でも、絵が壊滅的に下手くそで……。じゃあ、自分は漫画の何が好きなんだろう? 何に憧れるんだろう?と突き詰めていったら、“ストーリーをつくること”が好きなんだという答えにたどり着きました。物語という形で何かを表現したい、と思ったんです」 ご両親はそんな桑原さんを応援し、せっかくなら文学的な歴史のある京都に行くのがいいのではと、県外への進学をすすめてくれたそうです。
こうして、京都精華大学 人文学科への進学を果たした桑原さん。卒業後はさらに大学院へ進みます。もちろん、将来の夢は小説家になること。それに変わりはありませんでしたが、大学院に進んだ頃から、就職活動をはじめました。
就職活動では、業界も職種も一切問わなかったそう。桑原さんが気にしたのは、給与や福利厚生といった待遇面だけでした。「すぐに小説家としてデビューし、食べて行けるようになるのはとても難しいことです。そこで、会社員として働きながら小説を書こうと考えました。当時の僕にとって、仕事とは、生計を立てるための収入源でしかありませんでした」
After
京都をはじめとする関西圏で就職活動を展開していた桑原さんですが、なかなか思うようにはいきませんでした。そんなとき、お父さんから「福岡でも探してみたらどうだ?」といわれました。「大学時代を京都で過ごし、僕自身、とても肌に合っていると感じていたので、何の疑問もなく関西圏で就職活動をしていました。父に言われてみて、そういう選択肢もあるかな、くらいの感覚で地元の企業について調べはじめたんです」
そうして出会ったのが、福岡を代表する特産物・明太子の老舗企業でした。「創業者が博多の中洲に小さな食料品店を開き、明太子を開発。その技術を惜しげもなく地元の人々に伝え、福岡の復興と発展に大きく貢献したと知りました。企業というのは、あくまで自社の利益のために活動するものだと思っていたのですが、志さえあれば、企業活動が地域に大きく貢献するという事実に衝撃を受けました」
この出会いをきっかけに、桑原さんの仕事選びの基準が変わっていったと言います。「仕事とは“お金を得るための手段”とドライに割り切っていましたが、ちょっと違うんじゃないかと気づきはじめたんです。それからは、待遇面だけでなく、その企業がどんな歴史を持つのか、社会に対してどのように貢献しているのかを見るようになりました」
結果、地元福岡県で内定を獲得した桑原さん。“志を持って働きたい”そんな桑原さんの熱意が伝わったのかもしれません。地元で受けた企業は、この1社だけだったとか。こうして、2015年の春、桑原さんは6年間過ごした京都を離れ、福岡へ戻ることになりました。
Answer
Q.2 働くことの価値観、どう変化した?
Before
入社後、複数の店舗を経て、現在の店舗に配属となった桑原さん。パートさんと店長との橋渡しをしながら、忙しい毎日を過ごしています。
「生ものを扱っているので、品質管理には最大限の注意を払っています。また、店頭のPOPなどをつくるのも僕の役割。福岡随一の観光名所にある現在の店舗では、海外からのお客さまも多く、本社の語学のできる方に手伝ってもらいながら工夫しています。それから、接客にも気を抜けません。お客さまの目は温かくもあり、厳しくもあり……。地元の老舗で働くってこういうことなんだな、という緊張感を味わっています」
以前勤務していた店舗は、とにかくお客さまがひっきりなしに訪れ、息つく間もないほどだったとか。就職後もプライベートの時間に小説を書いていた桑原さんでしたが、「あの頃はさすがに仕事が終わると疲れ果てて、まったく書けない日々が続いていました」と話します。
After
ところが、そんな桑原さんを奮い立たせる人生の先輩がすぐそばにいました。「現社長が、仕事をバリバリにこなしながら、学生時代から続けているという演劇活動もしているんです。僕なんてとても真似のできないハードなスケジュールの中、脚本を書いたりしてるんですよ。その姿を見たら、仕事は夢をないがしろにする言い訳にはならない、と痛感しました」
学生時代から、“働くこと”と“夢を追うこと”を切り離して考えてきた桑原さんですが、その二つがだんだんと近づいてきたそう。「昔は、仕事と夢はまったく別の線上にあると考え、僕はその間を行き来するつもりでいました。けれども、実際に働きはじめて、仕事と夢は一体のものだと感じるようになりました。仕事が充実していないと夢を追うなんてできないし、逆もまた然りなんだと思います」
そう考えはじめると、日々の仕事の中に、夢のためのヒントがたくさんあることにも気づいたと言います。「店頭で接客していると、個性的でユニークな方々に出会えます。あ、この人、ぜひ僕の小説に登場させたいな、と思うような。これはほんの一例ですが、社会人としての経験が、書くことに必ず役に立つと実感するようになりました」
Answer
Q.3 Uターンの前と後、地元の見え方に違いはある?
Before
歴史が大好きだという桑原さん。京都に暮らしていた頃は、暇さえあれば自転車に乗って街を散策していたとか。「京都は、歴史的な名所が多くて、楽しみには事欠きませんでした。ちょっとした四つ辻を入ると、石碑があって、よく見ると歴史的な場所だったりする。そんな発見もおもしろかったですね。特に冬の銀閣寺が好きで、雪が降ると自転車ででかけていきました」
学校と、街めぐりと、本屋めぐりと、小説を書くこと。これらに明け暮れていた桑原さんの京都生活は、とても充実していました。一方で、京都生まれ、京都育ちの人々の地元意識の高さに驚いたと話します。
「それまでの僕にとって、生まれ育った福岡は“意識しない場所”だったんです。福岡に限らず地方の方はみんなそうだと思いますが、進学を考えるとき、まず“県外にでるか、地元に残るか”ということが頭に浮かびます。就職するときも同じです。でも、京都の人たちの話を聞いていると、京都で生まれ、学び、働くことが当たり前のようで、その感覚の違いに驚きました」
After
福岡に戻った現在も、休日には街歩きをし、小説を書いているという桑原さん。しかし、京都での暮らしに比べると、ちょっとした不満もあるそうです。「京都に比べたら仕方ありませんが、やっぱり歴史的建造物が少ないなと思います。あと、本の発売日がちょっとだけ遅いのは残念ですね」
一方で、故郷・福岡のよいところもはっきりと見えるようになったそう。いちばんの自慢は、食の豊かさ。「福岡は、とにかく何を食べてもおいしいです。例えば、地元の人は『ラーメン食べに行く?』とは言わず、『◯◯さん(店名)行く?』と必ず店の名前をだします。これは、食の激戦地で、どの店にも個性があるからこそ。それから、福岡で育った人間にとって、関西のうどんはどうも……。ふにゃふにゃとやわらかい福岡うどんでないとダメなんです。あれ、本当にうまいんですよ」
福岡を数年間離れた経験は、桑原さんにとって“武器”だと言います。「Uターンにしろ、Iターンにしろ、それまでいた場所から移動するということ自体が、一つの武器だと思います。そこには、ずっと地元で過ごしてきた人にはない新しい視点があるはずで、僕自身もそれを仕事や執筆活動に生かせたらと思っています」
Answer
Q.4 一度地元を離れて別の場所を知ったからこそ、地元の魅力が再発見できた。そのことは、自分の武器でもあると思った。
Before
「高校生の頃は、故郷の文化になんてさっぱり関心がなかったです」と語る桑原さん。福岡と言えば、ゴールデンウィークには「博多どんたく」、夏には「博多祇園山笠」と、歴史ある大きなお祭りが有名ですが、そんな地元のお祭りにも自分から参加するほうではなかったと振り返ります。
もし京都で就職していたら、どんな暮らしをしていたでしょうか。そんな質問を投げかけると、「一人暮らしは苦じゃありませんでした。けれども、仕事は仕事、プライベートはプライベートとドライに考えたまま社会人になっていたら、まず今のような熱量で働いていなかったと思います」という答えが返ってきました。
きっと、どこで過ごしたとしても、桑原さんは「いつか自分の小説を発表したい」という夢を追い続けていたことでしょう。けれども、現在のように、目の前の仕事に情熱を傾けるという経験がなかったとしたら……創作活動に向き合う姿勢も違っていたかもしれません。
After
地元企業で働く桑原さんは、現在、地域のお祭りにも積極的に関わっています。今年は、社内の「どんたく委員長」を務めたとか。「委員長といっても、僕がしたことは、委員に参加するスタッフが動きやすいようにと気を配っただけなんです。おかげで、委員の女性がつくってくれたTシャツが人気を集めさらに、コンクールで入賞を果たしました!」
今では、「博多で培われた町人文化や商人根性といったものに、とても惹かれます」と話す桑原さん。「老舗で働いていると、地域の企業同士の人情的な結びつきがいかに強いかを目の当たりにし、そんなつながりが地元の文化をつくってきたのだと感じます。自社の社章を付けていると、地元の人から『あんたんとこ、昔っから使っとーばい』と声をかけられることもあるくらいで」 福岡の地に脈々と続く商人同士のつながり。今、桑原さん自身がそのつながりを構成する一員になりつつあるのです。
地元に貢献する企業で働くことは、桑原さん自身が地元に深く、深く、根を張っていくということ。そのことが、創作活動にも少なからぬ影響をおよぼしているようです。「もっと地元のことをよく知るために、博多の観光案内ボランティアの資格も取れたらなと考えています。そして、いつか、福岡の明太子屋さんが舞台の小説なんて書けたらいいな、なんて思っています」
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