働き方紹介Before → After
北海道

思いもよらなかった札幌への移住。
そこは、意外にも私にぴったりの街でした。

【北海道】スタジオロッカ株式会社
蔵立沙栄さん
1995年大阪生まれ、京都精華大学芸術学部(映像コース)卒業。大学4年生の3 月、東京での就職活動に行き詰まっていたときに恩師の紹介で北海道札幌市の映像制作会社を知る。翌4月にインターンを経験したのち、5月に札幌へ移住。現在、モーショングラフィッカーとして活躍している。

サマリー

美術大学で映像を学び、「卒業後は東京で映像制作に携わりたい」と就職活動をスタートした蔵立さん。残念ながらうまく行かず、進路を決めあぐねていました。そんなとき、大学の先生の紹介で北海道札幌市の映像制作会社「スタジオロッカ」に出会います。まずはインターンとして札幌に短期滞在。恐る恐る足を踏み入れたそこは、思いがけず蔵立さんのフィーリングにピタリとハマる場所でした。土地にも社風にもたちまち惹かれ、移住を決意。約1年が経った今、「毎日が楽しくて仕方がない」と言います。先輩たちの自由な働き方に触発され、また見知らぬ土地でやっていける自信がついたとき、蔵立さんの心に芽生えたのは「自分自身の作品をつくりたい」という思いでした。

蔵立沙栄さん
北海道札幌市

Q.1 「地方」のイメージ、どう変わった?

Before

蔵立さんは、生粋の大阪人。大阪市の南東部、天王寺や難波といった繁華街にすぐアクセスできる便利な町で育ちました。高校卒業後は京都精華大学の芸術学部に進み、映像を専攻します。就職活動では、東京のテレビ局や映像制作会社を目指しました。

映像の仕事はやっぱり東京に集中していますし、最先端だというイメージもありました。さらに、一度は東京へ行ってみたい気持ちもあって。大きな会社で働きたいという願望はなかったんですが、やっぱり自分がいいと思える作品をつくっている会社で働きたく、慎重に選びながら就活をしていました。それもあってか、なかなかうまく行かず……。卒業が間近に迫っても、どこにも内定をもらえないままでした」

卒業目前の3月、そんな蔵立さんに思いも寄らない話が舞い込みます。大学の先生が「札幌の映像制作会社が“道外から新卒のスタッフを迎えたい”と言っているが、どうだ?」と声をかけてくれたのです。

蔵立さんの最初のリアクションは「えっ、札幌!?」だったとか。「旅行で一度訪れたことはあったものの、北海道と言われて思い浮かぶのは“雪・シロクマ・海鮮”くらいで、まったく未知の世界でした。そもそも、大阪で生まれ育ち、祖父母や親戚もみんな関西にいる私にとっては、“地方=旅行する場所”でしかなかったんです。自分が札幌に移住するなんて、考えたこともありませんでした。先生からのお話を“チャンスかもしれない”と思う一方、“見知らぬ土地で一人でやっていけるだろうか?”と、大きな不安を抱きました

After

蔵立さんが紹介されたのは、札幌中心部に事務所を構える「スタジオロッカ」。蔵立さんの不安を察したのか、社長の松永さんは、ひとまずインターンとして札幌に短期滞在することを提案してくれました。

こうして、2017 年4月の初め、1週間のインターンシップを経験するため札幌へと向かった蔵立さん。旅立ち前は、まだ移住を決めきれずにいたそう。「友達はおろか、知り合いすら一人もいない土地に行くことが怖くて、毎日泣いていました」と話します。

ところが、実際に数日間過ごしてみると、札幌の街はどこか京都に似ていました。碁盤の目のように整然と区画され、街ゆく人々はおしゃれで、音楽イベントなどのカルチャーも充実していました。大阪のような便利な暮らしは望めないと思い込んでいたのに、必要なものは手の届くところにちゃんと揃っていて、北海道にいることすら忘れてしまうほどでした。しかも、街を少し離れると豊かな自然が広がっていることも魅力的で。“あれ? 全然普通に暮らせそう!”って思いました」

インターンの1週間を終えたときには、移住の決意が固まっていたという蔵立さん。“地方の中の都会”とも言える札幌の成熟と活気が、募っていた不安を一気に払拭してくれたのです。すぐに部屋を探し、5月のゴールデンウィーク明けには引っ越しを済ませ、正式にスタジオロッカのスタッフになりました。

Answer

「地方=未知」と一括りに捉えていたが、地方の中にも都会と同じ感覚で暮らせる場所があると知った。

Q.2 仕事の捉え方、どう変化した?

Before

就活中、蔵立さんはリクルートスーツに身を包み、東京の企業をまわっていました。ところが、蔵立さんの周囲にはそのような活動をする人は少なかったと言います。

「映像専攻のクラスメイトには、在学中に作家としてデビューする人、アルバイトをしながらフリーランスとして活動しようと考えている人など、アーティスト志望の人が多かったんです。“大学を卒業したらどこかに就職しなくちゃ”という空気はありませでした

そんな環境の中、企業への就職を目指した蔵立さん。その背中を押していたのは、「せっかく学んだ映像の知識や技術を生かしたい」という思いだったそうです。とはいえ、蔵立さんの仕事に対する思いは極めて現実的でした。「映像制作会社に入った先輩たちは、肉体的にも精神的にも、とてもしんどそうに見えました。好きなことを仕事にしたはずなのに、“もう辞めたい”と言っていたりして。そんな姿を目の当たりにすると、“仕事とは、お金を稼ぐためのものなのだ”と思いました

 

After

札幌でのインターン初日、蔵立さんはスタジオロッカの扉を開いた瞬間「こんな会社があるんだ!」と驚いたそう。いわゆるオフィス空間を想像していたものの、部屋の中央には居心地のよさそうなソファが置かれ、窓辺にはたくさんの植物が飾られていました。そして10人ほどのスタッフがいると聞いていたのに、そこにいたのは普段着の先輩2人だけ。蔵立さんは先輩たちと他愛もない会話をし、一緒にランチを食べ、学生時代につくった映像作品を見てもらい、1日を終えました。

あとでわかったことですが、この会社ではリモートワークをしている人が多く、みんなが毎日事務所に出てくるわけではなかったんです。ピシッとビジネススーツを着た人事の方を前に、“京都清華大学から参りました、蔵立沙栄と申します!”と声を張り上げていた就活の面接とは、まるで雰囲気が違いました

スタジオロッカで働くうち、蔵立さんはさらに大きな気づきを得ました。「この会社のスタッフの多くが、映像制作の仕事に加えて、やりたいことを自由にやっているんです。ギャラリーを運営する人、音楽活動をする人、油絵を描く人、アートアニメーション作家として活躍する人……。みんな軽やかに両立していて、それが本当に格好よくて、“こんな仕事の仕方があったのか!”と業界のイメージがすっかり変わりました

Answer

「自分を表現するための活動」と「仕事としての映像制作」は二者択一だと思っていたが、両立できるのだと思えた。

Q.3 関西の暮らしと北海道の暮らし、何が違う?

Before

大学1年生の頃は大阪の実家から京都に通い、2年生からは京都で一人暮らしをしていた蔵立さん。「1年生の間に京都に友人ができていたので、一人暮らしをはじめたときも心細い思いはしませんでした」と話します。

「課題のための写真や映像を撮影するために、いろんなところに出かけていました。また、京都市内のライブハウスでVJ(ビジュアル・ジョッキー=会場のスクリーンに流れる映像を演出する)をしたり、学生がつくるフリーペーパーの写真撮影をしたり、同じ大学の学生の展示を見に行ったり、あれこれ動き回っていました。音楽が好きなので、音楽イベントにも通っていましたね」

札幌に赴く前は、「地方に移住してしまったら、もうこんなふうに気心の知れた友達と遊ぶこともできない」「大好きな音楽イベントに行くことも減ってしまう」と思い込んでいました。

After

札幌への移住を果たした最初の週末、市内で催される音楽イベントの情報を知った蔵立さんは、一人で足を運びました。そこで、札幌のクラブミュージックのレベルの高さに衝撃を受けます。

“ここは音楽の街だ!”と思いました。私と同じ世代の若者たちも頑張っていて、アーティスト気質な人が多いのを感じました。早速友達が一人でき、さらにその周りの人たちとも仲よくなって、次第に友人が増えました。今では、関西にいたときよりも頻繁に音楽イベントに行っています

こうして、当初の不安が嘘だったかのように、あっという間に札幌の街に馴染んだ蔵立さん。ほかにも、札幌の好きなところをいくつも挙げてくれました。

東京や大阪に比べると、家賃が随分手頃ですね。(京都の4~5割程度の家賃相場)私も、街に近くてセキュリティのいいマンションを見つけることができました。夏は涼しくてクーラーがいりません。かわいい古着屋さんも多くてショッピングには困らないし、あと、食べ物がとにかくおいしいです! 私はスープカレーにすっかりハマって、週3〜4回食べています。お店ごとに個性があるので、全然飽きないんですよ。この1年は札幌の街を満喫したので、これからは市外にも行ってみたいですね」

マイナスポイントをあえて言うならば、やっぱり冬の厳しさ。あまり雪を経験したことのなかった蔵立さんは「この冬、すでに6回転びました」と笑います。でも、お気に入りの場所だという中島公園を歩くその足取りは、もうすっかり雪道に慣れているように見えました。

Answer

大好きな音楽イベントにもう通えないと思っていたが、むしろ逆。衣食住からカルチャーまで、予想以上に満たされている。

Q.4 やりたいことに変化は生じた?

Before

VJやフリーペーパーなどさまざまなことにチャレンジしていたものの、蔵立さんは自身の学生時代を「新しいことをするときにはいつも自信がありませんでした」と振り返ります。知らないことをしたり、知らない世界に飛び込んだりするのがとても苦手だったそうです。

そんな蔵立さんですが、映像の仕事には人一倍強い思い入れがありました。「映像制作に携わりたい、そして将来もずっと続けていきたいと決めていました」 だからこそ、就活がうまく進まないときすら、別の業界や職種へ志望を変更することなど考えもしなかったと言います。今思えば、大学の先生がスタジオロッカの求人情報を真っ先に蔵立さんに伝えたのは、その一途な思いが伝わっていたからなのかもしれません。

「ただ、その頃は、会社の仕事として映像がつくれれば十分だと思っていました」と蔵立さん。自分自身の表現としての映像制作は、学生時代まででおしまいだと考えていました。

After

入社以来、蔵立さんは東京の有名ジャズクラブからの仕事を担当しています。次にライブをするアーティストの告知映像を制作するのがミッション。新入社員とはいえ、この案件についてはすっかり一任されているのだとか。

仕事の基本を覚え、移住から1年が経った今、蔵立さんの気持ちに変化が芽生えてきました。「毎日がすごく楽しいです。見知らぬ土地でこうしてやってこられたことで、自信がつきました。以前は“知らない”ことに怯えていましたが、今は“この先どうなるかわからない”ことが楽しみです。“次は沖縄に行け”と言われても、“はい!”って即答できるくらい」

さらに、やりたいことも見えてきたそう。「会社の先輩たちのように格好いい30代になりたいです。けれども、まだまだ追いつかないのが現状。もっと技術がほしいし、これだけは誰にも負けないというものがほしい。そのためにも、仕事とは別に、自分の作品としての映像をつくりたいと思っています。ここでなら、そういう働き方ができることもわかりましたし。札幌でしかできない映像をつくり、札幌の街で発表できたら!」 移住2年目を迎える今年の春、作品づくりが始動するそうです。

Answer

ずっと映像制作を続けたいという思いは変わらぬまま、仕事だけでなく、自分自身の表現も突き詰めたいと考えるようになった。

編集後記

東京での就活につまずき、札幌に移住した蔵立さんですが、現在彼女が担当しているのは東京のクライアントからの仕事。今や、クリエイティブ・ワークに距離は関係なく、然るべき感度と技術を持つ企業や個人にはどこからでも依頼が来る時代のようです。2017年夏には、映画『シン・ゴジラ』の総監督や『新世紀エヴァンゲリオン』の監督として知られる庵野秀明氏、ドワンゴのCTO川上量生氏らが、博多に映像制作スタジオを立ち上げました。このスタジオは、人材育成にも力を入れていくのだとか。先端技術やエンタテイメントに関わる仕事は東京が最高峰だとされてきた時代は、変わりつつあるのかもしれません。