地元の秋田をさらに良い場所にするために 建物だけでなく街を創造する建築家になる
サマリー
佐々木さんにとってのターニングポイントは就職活動中、Uターンをするか、東京に留まるかを決めたときでした。はじめは東京で就職するつもりだった佐々木さんが、最終的に秋田にUターンすることに決めたのは、「いずれ故郷で仕事をしようと思うのであれば、早く地元へ戻る方がメリットは大きい」と思ったからです。中でも大きかったのが人脈でした。若いうちにしかできない経験や出会い、そこからつながる人脈を、いずれ去るつもりの東京で築くのではなく、ずっと暮らすつもりの秋田で築きたい。また、就職活動中に「自分が建てたい建物は、秋田の歴史風土や気候などを十分に考慮する、地域に根差した建物であることに気づいた」ことも大きかったと言います。東京から秋田に戻って約1年。その決断がもたらした今を聞きました。
Q.1 地元に戻ることへの考え方はどう変わった?
Before
建築家になるために17年間暮らした秋田を離れ、東京の大学へ進学した佐々木さん。学生当時、身近な先輩や友人で設計の道を志す場合、卒業後の進路は大きく二つに分かれると言います。
一つはゼネコンや大手設計事務所に入り、ビルやマンション、商業施設のような大きな建物の設計をするケース。もう一つは、建築家が所属している建築事務所や工務店に入り、比較的小さな建物を細部にわたって設計するケース。
後者の場合は、独立を視野に入れている人が多い印象だそうです。いずれの場合も、働く場所は都市部。佐々木さんも、就職活動を始めた当初は卒業後すぐに秋田へUターン就職する気持ちなど、全然ありませんでした。
「でも、いつかは地元の秋田のために貢献したいという気持ちはありました。そのためにも、東京で実力をつけたいと思っていました。東京でがむしゃらに働いて、10年後か15年後かくらいに、秋田に戻りたいなぁと漠然と思っていました」
佐々木さんと共に学んだゼミの仲間のなかにも、新潟や岡山など地方出身者がいました。そんな仲間達も、それぞれ地元愛がありながらも、当たり前のように東京で働くことを決めていました。佐々木さん自身も、周りの同級生と同じように東京での就職活動を始めました。
After
就職活動中、東京でたくさんの会社に出会いました。志望動機を考えたり、面接を受けたりしながら、改めて自分の将来建てたい建物を思い浮かべ考える中で、ふと思ったことがありました。
「自分が東京の会社に就職して、働いている数年間にも、地元の秋田のまち並みや風景、社会情勢は変わっていってしまうんだろうなあと。“いつかは地元のために”の“いつか”っていつなんだろう? 自分が作りたいのは、ただ見た目がカッコいい建物ではなく、歴史風土や気候などの背景、原理を考慮した建物なのではないか。であれば、いち早く地元に戻って、秋田のことをより深く理解した方がいいのではないか。
20代だからこそ出会える地元の人たちとの関係こそ、大事にするべきではないのか」思い悩んだ佐々木さんでしたが、最後は秋田へUターン就職することを決心しました。
就職先は、秋田県大仙市を中心に建設業を営む工務店「もるくす建築社」。就職してそろそろ1年が経過しようとしていますが、その判断は間違いなかったと実感しているそうです。「まだ、入社して一年も経っていませんが、100人以上の地元の職人さんや協力会社の方々、お客様と出会うことができたと思います。その出会いのひとつひとつが、自分の将来に向けての財産だと感じています」と目を輝かせました。
Answer
Q.2 秋田の見え方はどう変わった?
Before
佐々木さんには、いつか自分の育った場所へ恩返しをしたい気持ちがありました。「帰省して家族や友人たちと近況を言い合うときに『将来、家を建ててほしい』と冗談交じりに言われるんです。少なからず、そんな会話が将来の目標につながっていたのかもしれません」と笑って話す佐々木さん。一方で、秋田を離れるまで、秋田の本当の良さは自覚できていなかったといいます。学生生活を過ごした東京での6年間は、充実していました。
「東京では自宅の近所を散歩して、カフェでお茶をしたり、休日は自転車でフラッと移動して美術館に行ったり。何も決めずに出かけたら、思いがけない何かに出会える楽しさがありました。あの感覚は、秋田では感じたことがないものでした」
大学のキャンパスが豊洲にあったときの行きつけのカフェは、豊洲フロントビルの一角に営業する「R.O.STAR」。大学と家の中間点にあるここに立ち寄って考え事をしたり、本を読んだり、ぼーっとしたりするのが心休まる豊かな時間でした。
After
今の会社に入社を決めて秋田に戻り、最初に感じたのは、秋田の自然の壮大さでした。高校までは、当たり前に思いじっくり見ることのなかった山々。今では季節や時間、天候によって異なる山々の景色がとても気に入っています。
「休みの日は、東京と違って、目的を決めて車ででかけます。散歩してカフェな休日から、大自然を相手にしたレジャーを楽しむ休日に変わりました。上京するまでの17年間は、秋田ならではの休日の楽しみ方に気づけていませんでした。東京にない魅力がここにあることは、やはり離れてみないと分かりません。今は逆に都会では味わえない秋田の休日の過ごし方を探してみようって意気込んでいるんですよ」
実は、休日の過ごし方の探求もまた、秋田の理解を深めるという点で、仕事にフィードバックができるそうです。「家を建てるということは、住む人の暮らしを建てるということでもあります。休みの日に、どんな過ごし方をすれば楽しいのか。まずは自分自身が体験して、理解することで、少なからず家の設計にも活きてくると思います」
Answer
Q.3 仕事のやりがいはどう変わった?
Before
佐々木さんは学生時代、仕事ではなかったものの建築家の卵として、建築に関する多くのことをしていました。大学院の研究室では、設計図面をひくために必要な歴史風土理解に向けて東京エリアをリサーチしたり、建物の模型を作ったり、建築に関する実務に没頭する日々でした。納期があったり、難易度が高かったり、決して楽しいばかりではありませんでしたが、充実感があったと言います。その中で将来の仕事のイメージや意識も醸成されていきました。
「東京港区の空き倉庫の一室を改修するプロジェクトをゼミのメンバーと進めていたときのことです。港区のリサーチを重ねて、その場所がどうあるべきか、みんなで何度も話し合いました。最終的に、イベントでも利用できるサテライトオフィスにリノベーションしました」。空き倉庫が立地するエリアは、山手線の田町駅品川駅間にあり、新駅を建設中という都市開発が盛んな場所でもあったそう。そんな場所に必要なものは、近隣住民がまちづくりについて話し合える場所だと考え、佐々木さんはゼミの仲間たちとともに、提案をしたといいます。
「このプロジェクトはクライアントありきの提案でした。また、提案だけではなく、港区エリアの模型の製作や展示をし、学生が主体となってイベントの企画・運営も行いました。建てるだけでなく、場所のあり方から仲間と一緒に考えていけたことは、大きな経験になったと思っています」。設計のコンペティションに出ることもあった佐々木さんの毎日は、まさに建築漬け。それこそが望んだ環境でもあり、やりがいを感じていました。
After
佐々木さんが今の会社への就職を決めた理由のひとつとして、設計図面をひくところから工事現場監督まで、すべてをやらせてもらえる場所だったからです。「僕は、建築に関することはなるべく全て自分でできるようになりたいと思っています。いろんな専門家と力を合わせて、建物を建てることはもちろん魅力的です。だからこそ、建物を計画するうえで細部にわたって自らが理解することが大切だと思います」
先日、初めて工事現場監督を務めた家を、施主であるご家族に引き渡しました。学生時代のイメージをはるかに上回る、仕事の難しさに直面する日々でした。しかし、そのような経験を経て、より具体的に自分が秋田に戻ってきた理由に気づき始めているそうです。
「生まれ故郷の街の景色を、自分の手で作っていきたいと思う気持ちがさらに強くなってきました。地元を理解していない人が考える“流行り”にまちが染められ、いつしか一時的な流行にのった故郷ができあがるのは嫌です。ひとつでもふたつでも、地元を深く理解した自分たちが手がけた建物を増やして、その結果まちが良くなればなぁと思っています」。建築という仕事を通じて、故郷をより魅力的なまちにする。佐々木さんの仕事のやりがいが、一層明確になりました。
Answer
Q.4 周囲や家族との関係はどう変わった?
Before
秋田へのUターン就職を考えていることを大学の友だちやゼミの先生に打ち明けたとき、みんな賛成してくれました。特に先生は「僕も自分に故郷と呼べる場所があれば戻りたい」と背中を押してくれました。しかし、秋田に住む両親は大反対でした。佐々木さんのお父さんは、秋田の工務店で働く同業者です。同業者ゆえの心配からでした。
「秋田には仕事がそこまでないし、将来的な展望も開けにくい。だから東京で仕事を探しなさい。万が一、秋田に戻ってくるとしても、就職先が決まらないうちは戻ることは許さない」。息子を思うからこその、厳しいアドバイスでした。
After
秋田へのUターン就職を決めた佐々木さんは、秋田にとどまらず、近隣エリアも含めて会社を探し始めました。けれども、地域に根差した建築関係の会社で、新卒採用をしているところは皆無でした。大学の就職課に相談に行っても、お手上げでした。そこで佐々木さんは、新卒採用枠がある、なしを問わず、気になる会社をリストアップ。直接連絡し、雇ってもらえる可能性がないか、尋ねていきました。
そんな就職活動の中で、今の会社の社長、佐藤さんが東京で講演を行うことを知りました。講演日は、卒論提出〆切の三日前。ぎりぎりまで悩みましたが、思い切って講演に出かけ、そこで聞いた佐藤さんの話に感銘を受けました。講演後、挨拶をさせてもらい、雇ってもらえないかと直接交渉しました。結果は、NG。すでに同じタイミングで入社する方がいて、会社の規模的に二人は雇えないとのことでした。
しかし、そこで諦める佐々木さんではありません。「卒業式間際の2月下旬に、東京にて社長と面談をしてもらいました。その時初めてポートフォリオを見てもらったんです。その場では採用は決まりませんでしたが、3月中旬ごろに社長から電話での採用連絡がきました。すごく嬉しかったですね。何度も何度も繰り返しアタックして良かったと思います」
結果を受けて、大反対だった両親も態度を軟化させました。「もうこの歳なので、直接激励してくることはないですけど、両親が応援してくれているのは肌で感じます。ありがたいです。唯一、東京で働く大学時代のゼミ仲間に頻繁に会えないのが寂しいですが、SNSなどで連絡を取って、刺激を受けながら、僕は秋田で頑張ろうって思っています」
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