働き方紹介Before → After
宮崎県

生産者との距離が近いからこそ、熱くなれる。
農業は新しくて、エキサイティングで、未来のある仕事。

【宮崎県】くしまアオイファーム 取締役副社長
奈良迫洋介さん
1982年鹿児島生まれ。高校卒業後、美容師の見習いやニュージーランドでの長期ステイを経て、鹿児島大学を卒業。インドのIT企業や東京の商社勤務を経験したのち、くしまアオイファームへ転職し、宮崎県串間市に移住。得意の英語を活かして、さつまいもの輸出業務や上場準備を担当している。

サマリー

東京の商社マンだったころ、食品輸出の仕事で宮崎県のさつまいもに出会った奈良迫さん。農業の現場に興味を持つようになり、印象的だった商品パッケージに惹かれて、宮崎県の「くしまアオイファーム」の門を叩きました。農業は高齢者ばかりで、つらい作業に休みなく従事しているというイメージは、この会社で大きく変わります。最先端の技術で農業の仕事を効率化しながら、外国までさつまいもを届けようとする仕事は、とてもクリエイティブだそう。奈良迫さんにとって農業は、新しいことにチャレンジし続けられる、未来あるビジネスだったのです。

奈良迫洋介さん
宮崎県串間市ってどこ?

Q.1 仕事の取り組み方は、どう変わった?

Before

奈良迫さんが働いていたのは、高級ブランド車の輸出と販売を手がける東京の商社。あるときその会社が、食品の輸出を始めることになりました。10代のころにニュージーランドで暮らしたり、インドのIT企業で働いた経験があったりと、海外への関心が強い奈良迫さんには、とても楽しいプロジェクト。いい食品や輸出先を探して、アジア圏を飛び回っていました。

「台湾に出張したとき、現地のスーパーで出会ったのが、くしまアオイファームのさつまいも。女の子のイラストが印刷されているパッケージなんて、フルーツならイメージできますが、野菜ではイメージしたこともありませんでした。その面白さに惹かれたのを、とてもよく覚えています」。

食品を実際に輸出するまでの道のりは、なかなか険しいもの。いいさつまいもが見つかり、量販店側で取引のOKが出ていても、輸入業者が見つからなければ現地に届けることはできません。大変苦戦したといいます。

「前職の高級ブランド車は、誰もが共通の価値を認識していますが、さつまいもはどのような特徴があるのか一から説明しなければなりません。輸出するには、鮮度をどう管理するかなどの課題も出てきます。だから、営業には苦戦しました。そんな中ようやくこぎつけた輸入業者との面談で、生産方法について聞かれたんですが、なにも答えられなかった。僕は、さつまいもの根本を知らなかったんです」と当時を振り返ります。奈良迫さんはこの悔しさをきっかけに、さつまいも農業そのものへ興味を抱くようになりました。

After

会社が方向転換をして、食品の輸出事業を取りやめることになりましたが、奈良迫さんの農業への関心は増すばかり。

知れば知るほど、さつまいもって魅力的なんですよね。離乳食にも介護食にも、再生可能エネルギーにもなる。自分で生産できれば“食いっぱぐれ”はないだろうと思い、農業を仕事にすることを決めました」。

さっそく連絡したのは、台湾で出会ったさつまいもの会社・くしまアオイファーム。近隣農家のさつまいもを仕入れ、自分たちでも生産しながら、国内販売と輸出を手がけている会社です。とんとん拍子に転職が決まり、奈良迫さんは宮崎県串間市に移住。2年が経ったいまでは、副社長を務めています。

 

「前職のときは、作り手のことを具体的にイメージできていませんでした。でもいまは作っている人との距離が近いから、とてもリアル。このさつまいもの価値をもっと高めて、より高値で世界に送り出したい、と真剣に考えられるんです

輸出をスムーズに進めるための環境は、都会のほうが整っているかもしれません。でも、生産者や作物の裏側をリアルに体感できることは、都会にいることのメリットを上回るといいます。見たこともない遠くで作られたものを、ただパイプとなって販売するよりもずっと、仕事が「自分ごと」になるからです。産地の宮崎県を拠点とするからこそ、食品輸出事業の面白さを、より熱く感じられています。

Answer

単に輸出の販売ルートを作るだけでなく、生産方法を理解するとこからはじめ、さらに熱く、真剣に取り組めるようになった。

Q.2 働くモチベーションは、どう違う?

Before

前職の高級ブランド車の輸出と販売の仕事は、スケジュールどおりに進めていくことが大事。予定されたスケジュールを、お客様に満足していただけるように、手順良く進行する仕事です。とくに、輸出事業と並行していた販売店業務では、毎日のタスクと時間割が決まっていました。一日で最大40組の予約を、営業や整備担当者と協力しながらこなしていくものでした。たまに、イレギュラな対応が必要です。しかし、整備担当との調整ができれば対応できるので、あまり想定外なトラブルは発生しにくい仕事でした。

「出された指示に対して、どれだけ短い時間で成果を出すか。どれだけ効率的に、相手の想像を超えるところまでやりきるか、というのがやりがいでした」と、振り返ります。収入もそこそこよかったけれど、モチベーションにはあまりつながらなかったそう。

振り返れば、大学を卒業してすぐ、インドのIT企業を経験したときからずっと「わくわくすること」を一番大事にしていたといいます。

 

「インド時代の給料は7万ルピー。日本円にして、約12万円ほどです。それでも仕事は楽しかったし、収入よりも自分がわくわくできること。面白いことを重視したいなと思うようになっていました」

After

くしまアオイファームでは、毎日が予想外のことばかり。ある加工メーカーが工場を売りたがっていると聞けば、購入のために条件を整える。リアル店舗の焼きいも屋をやるために、提携を申し出てくれた相手と話し合う。そんなふうに、想定外の新しい情報が飛び込んでくるたび、優先順位を考えて、自主的に動かなければなりません。

「想像もしないことが起きるから、本当に面白い。与えられた仕事を決まった時間内にやりきるだけでなく、初めての状況に合わせて『これはどうする?』と考える楽しみがあるんです」

 

現在は、会社の上場準備にも取り組んでいる奈良迫さん。そのための資金調達や、社内のルール作りにいそしんでいます。

大きな企業では、自分の限界を少しだけ超えるような仕事を与えられて、それをクリアしながら段階的に成長していきますよね。でも、くしまアオイファームにはそんな“さじかげん”がない。まったく手に負えないような仕事も飛び込んできます(笑)それがとってもわくわくするし、自分の能力をぐーんと伸ばしてくれるんです

Answer

与えられた仕事をどれだけ効率的にやりきるか、を重視していた前職時代。いまはそれだけでなく、新しいことにどんどん挑戦して、自分を成長させていく面白さに気づいた。

Q.3 「農業」の見え方はどう変わった?

Before

実は、くしまアオイファームに転職する前、商社時代にも、奈良迫さんは就農経験をしています。週末を利用して島根や新潟を訪れ、二泊三日などのショートステイで農業にふれあいました。

「手をかけてやれば、実を結ぶ。そして、ものができれば食べていける。身体を使って作物を育て、その成長を見守る仕事は面白いなと感じていました。でも、価格競争に巻き込まれていくと、小さな農家はなかなか闘っていけません。作物の価値を高め、働く人の負担を減らせる仕組みが必要だと思いました

農家には、厳しくつらいイメージがあるのは事実。なかなか休みもとれず、高齢者ばかりで若い働き手がいない現実も、目の当たりにしました。

After

くしまアオイファームには、農業の担い手としてはめずらしく、若い従業員が大勢います。彼らのモチベーションを保つために、会社全体で“いかに楽しくやるか”を念頭に置いているのだそうです。「家族で営む農家では、休日に誰かが代わりをしてくれる訳でもありません。毎日の手入れが重要な農業だからこそ、愛情をかければかけるほど、余暇の時間が少なくなります。でも当社のような法人なら、複数の従業員をローテーションで稼働させ、さまざまな仕事を効率化できる。楽しく働きながら、農業に取り組めるんです」と、奈良迫さん。

もちろん、思ったよりも設備への投資が必要だったり、農薬の使用に対してジレンマが生まれたり、いいことばかりではありません。でも、国も農業を奨励しているいまは、追い風の環境。だからこそ勢いが生まれるし、みんなで仕事として取り組む面白さがあるといいます。

くしまアオイファームでは、最新技術の導入にも力を入れているそうです。

「農業をもっと働きやすい仕事にするために、新しいやり方をどんどん試せるのも楽しいところ。たとえば、野菜の荷下ろしをロボットに任せたり、ドローンで農薬を散布したり……最先端の技術が、人間の負担を減らしてくれるんです。働く環境が改善されることで、農業を志す若者がもっと増えたらいいなと思います」

輸出入に関われば、英語を活かせる場面もたくさん。海外にも、焼きいものリアル店舗をつくる計画が進行しています。

奈良迫さんが取り組んでいる“農業”は、最先端の技術を駆使し、英語を武器に海外とやり取りするなど、「未来を見すえ、これまでにない一歩を踏み出していく」とてもクリエイティブな仕事なのです。

Answer

楽しいけれど、年齢層が高いうえに過酷なイメージがあった農業。たしかに厳しい現実はあるものの、新しいやり方や改善方法を試行錯誤できるため、クリエイティブな仕事だと感じるようになった

Q.4 プライベートの過ごし方は、どう変わった?

Before

奈良迫さんは九州・鹿児島県出身。体を動かすことが大好きで、九州の屋久島や阿蘇、久住など、たいていの山に登っていたといいます。自分の限界に挑戦するのが楽しくて、トレイルランニング(舗装路以外の山野を走る中長距離走の一種)のように薩摩富士をダッシュで登り、ダッシュで降りてくることも。「走るのは、いいストレス解消。東京時代も、登るのにほどよい山はないけれど、仕事で落ち込むことがあると、ランニングで頭を真っ白にしていましたね」。

東京で働いていたときは、平日夜遅くまで仕事。満員電車が嫌いで、会社から徒歩圏内に住んでいました。自炊をする余裕もなく、外食ばかりだったといいます。でも、都会にはさまざまなお店があって、選択肢が多い。たとえ夜遅くても、そのとき食べたいものをすぐに食べられるのが、いいところでした。

土日は、関東圏の郊外に行くのがお気に入り。「館山の海でのんびりしたり霞ヶ浦をドライブしたり……鎌倉をぶらぶら歩くのも楽しかったですね。本当は山登りやキャンプがしたかったんだけど、なかなかエネルギーが残っていなくて、近場で遊ぶことが多かったです

After

アウトドアが好きなのは、宮崎に移住しても変わりません。家を一歩出れば、豊かな自然。魚が棲む川もあれば、岬の近くには野生の馬もいる。海も山も美しい宮崎では、散歩をするだけで景色を楽しめるようになりました。

「一番変わったのは、食生活です。外食できるようなお店が数少ないため、お昼は職場に届くお弁当。朝食と夕食には、家でつくった焼きいもを食べています。弱めの中火で1時間、ときどき転がしながら焼いたあとに、半日くらい蒸らすのがコツ」。自炊の習慣がなかったとは思えないほど、すらすらと、おいしい焼きいもの作り方を教えてくれました。

毎日食べても飽きないし、健康的。さつまいもの良さをうれしそうに語る奈良迫さんの姿には、農業への愛と誇りがにじみ出ているようでした。

Answer

もともと大好きだった自然は、遠出で楽しむものではなく、いっそう身近な存在に。外食中心の食事は、自分でつくった焼きいもやお弁当に変わった。

編集後記

くしまアオイファームのオフィスは、おしゃれなコテージのようなデザイン。案内されたお部屋にはおしゃれな暖炉もあり、従業員の方々がにこにこと休憩されていました。奈良迫さんが語る農業はとても魅力的で、楽しい仕事に思えます。「迷ったときは、わくわくするほうを取りたい。新しいことをやる面白さを大事にしたい」と、さまざまな選択を積み重ねてきた奈良迫さん。海外での生活や仕事も経験して、最終的に選んだのが、宮崎での農業です。それほどに今の仕事がエキサイティングであることが、言葉の端々から鮮やかに伝わってきました。