第29回 事業も働き方も、創造性豊かなIT企業の原点は、地方にあった。
株式会社フードハブ・プロジェクト 共同創業者 / NPO法人まちの食農教育 理事
林隆宏氏
大学卒業後、コンサルティングファーム、広告制作プロダクションを経て27歳のときに投資家の支援を受け起業。しかし、当初のビジネスは全くうまくいかず、Web制作を中心とした業態に転換。30歳のときに役員とともにMBOにより独立し、株式会社モノサスの代表に。モノサスでは「マイ・プロジェクトをもとう」をスローガンに、会社のメンバーが自分の情熱を仕事にしていくことをサポートしながら、自らも好きな人・会社のコンサルティングを手がけたり、新規事業を立ち上げたりしている。現在は住居のある長野、本社のある東京、サテライトオフィスのある徳島を行き来する多拠点生活。
テーマ1幸せの本質とは何か
自分のモノサシを大切にした結果、地方にたどりついた
2004年創業の「モノサス」は、マーケティングやWeb制作をする会社としてスタートし、現在は、食事業や教育事業など幅広く手がけています。
代表を務める僕は、コンサル会社と広告制作会社勤務を経てモノサスを立ち上げました。創業時から現在まで、自分の中で繰り返しているのは「会社とは何か?」という問いです。
突き詰めると、人間は幸せになるため、生活を豊かにするために働き、幸せの形は人それぞれです。だとしたら、モノサスという会社組織に集まったメンバーは、自分のモノサシで得意なこと・やりたいことを見定め、それが仕事になるようにみんなで協力していきたい。そんな思いで『モノサス』という社名をつけ、現在、大小さまざまなプロジェクトが全国で進行しています。
モノサスの本社は東京・代々木にありますが、14年に徳島県神山町、18年に山口県周防大島にサテライトオフィスを構えました。「地方に拠点を持って働きたい!」の、言い出しっぺは僕です。2012年、東日本大震災の影響で、会社の売上がいっとき5分の1にまで落ち込んでしまいました。会社を立て直すべく昼夜問わず働いていた僕は、東京の地で疲れ果てていました。
そんな中、誘われて視察に訪れたのが神山町でした。神山町は、人口およそ5,000人の中山間部の町。近年、IT企業などが古民家を利用したサテライトオフィスを次々とオープンしたことで、全国に知られるようになりました。僕は神山という場所やそこに住まう人々の魅力にとりつかれ、彼らから学びたいと思い、何度か通っているうちに、現在も神山オフィスで働くメンバーとのつながりができ、自然と神山での仕事も生まれました。
振り返れば、忙しい中、時間を工面して神山に行ったことはとても大きかったと思います。なぜなら、そこでの出会いの先に、ぼくが理想と考える組織を実現するためのヒントがあるように感じたからです。
「会社とは何か」を問い続け、理想形を思い描いてはいたけれど、実現には程遠く、苦境の中で、自分だけが必死に頑張っているような気持ちにさえなっていた当時の僕が、地方に行き環境を変えることで、「人が自由であるためには何が必要なのか」ということに改めて向き合うことができ、実際に見て学ぶこともできた。あのまま東京にいたら、今の会社も、今の自分も、なかったかもしれません。
テーマ2個性や能力を発揮したいなら、地方へ。その理由は?
東京と地方をビジネスで行き来して感じるのは、どちらにも働く人のメリットや魅力があるということ。東京には約26万社の会社があり、全国の約15%を占めると言われます。圧倒的に数が多いので「良い修行場所」が豊富にあるのは東京といえそうです。ただし、大量生産・大量消費の経済システム上、人並み以上に努力し続けないと、没個性的な働き方を強いられるのも東京です。
一方、企業数は少なくても、個性や能力を発揮して働ける可能性が高いのは地方です。例えば、モノサスが神山で最初に受注したのは、神山町役場のホームページをリニューアルする仕事でした。Web制作は、モノサスの十八番。その後も強みを活かしてコーディングスキルやWeb全般の基礎知識を教える求職者支援制度「神山ものさす塾」を開講したりしました。
その中で関係性が育まれ、その後は、これまで経験をしてこなかったような仕事も始めていくことになりました。例えば神山町役場と町の公社と連携して、食と農業をつなげる「フードハブ・プロジェクト」に参画したのは、それに当たります。まったく新しいプロジェクトだから、町にある他の業者さんの仕事を取ったわけでもなく、これまでの延長線にある仕事でもない。そんな新しい仕事が生まれていくのが、地方の面白いところだと思います。
「でも、仕事はあっても、地方だとたくさん稼げないじゃないか」と不安に思うでしょうか。僕は、豊かさとは「稼ぐ」と「消費」のバランス次第だと思っています。東京は生活費が高いので、たくさん稼ぐことに執着しがちです。家族ができるとなおさら「食べるために働かないといけない」人が増えます。
その点、地方で暮らすと、東京ほどお金を使う場面が少なくなります。神山の例を挙げると、家賃は東京の10分の1と言ってもいいくらいです。現在、世界中で高騰している野菜は、ご近所さんから無料でもらえたりもします。神山は子育ての支援がとても手厚く、子どもの医療費や給食費も無料なので、中学校を卒業するまで、養育費はほとんどかかりません。
たとえ東京より平均年収が低くても、「稼ぐ」と「消費」の均衡を保てれば、地方での生活は驚くほど豊かに感じるはずです。
とはいえ、無理して地方で働く必要もありません。リモート勤務がスタンダードになった今、どこでも仕事はできますし、例えば東京でポータブルスキルを身につけてから、やりたいことが地方で見つかれば移住する。これも人生です。大切なのは、自分が何をやりたいかであって、場所はどこでも成り立つのだと思います。
テーマ3受け身でいい
地方に行けば自ずと未来は拓かれる
ここまで「自分のモノサシでやりたいことを仕事にする」といったお話をしてきたせいで、「主体性がないと地方でうまくやっていけないのでは?」と思う人がいるかもしれませんので補足させてください。
確かに、東京で受け身だと、何も起こらない可能性はあります。人が多いので、誰からも気付いてもらえないからです。しかし、地方では、受け身でいようが、何も起こらない方が難しいです。例えば、ご近所さんがあなたの家の縁側に野菜を置いていったとしたら、あなたは何らかの反応を示すでしょう。
そして、そもそも、あらゆる場面で人手が足りません。モノサスの仲間にも、地元の人に誘われるままに畑を始めた人、狩猟免許を取得した人、地元の阿波踊りの連(団体のこと)に入った人などがいて、当人が予想もしなかった方向に人生が切り拓かれています。人が少ない分、つながりが強く、放っておいてくれないからです。
考えてみたら、「東京で人に出会う」行為は、消費活動に似ています。目的があって、アポをとって、お金を払ったり・払われたりして目的を達成する。すべてが計画的で偶然性はありません。しかし、地方には“消費”するほど人がいないので、一つひとつのご縁を大事にする、といった面もあるでしょう。
そんな僕も、2年前に、長野県に移住しました。軽井沢を主な拠点として、月に数日程度東京や神山に滞在するという生活スタイルが、自分にはあっているようです。ただし、軽井沢に移住しようと提案したのは、僕ではありません。子育て環境などを考慮した家族の希望であり、僕は“受け身”でした。そんな僕が軽井沢の地で何を仕事にしているか。地元の学校のWebサイトを作らせてもらったり、木材販売業に携わったりしています。これも偶然的な出会いから生まれた仕事です。「行けば、拓かれる」というのは、そういうことだと思います。
※この記事に掲載されている情報は、2022年9月にサイトに公開した時点での情報です。