LO活
実践者のリアルボイス

いろんな不安を抱えながら
一大決心で勇気をもって
LO活を実践した4名の声を聞く!
voice 01
斉藤 香織 さん

日本野菜ソムリエ協会認定シニア野菜ソムリエ/食育マイスター/日本防災士機構認定防災士

移住先 : 高知県四万十市

東京で事務職から野菜ソムリエに転身後、その活動先として高知を選ぶ。持ち前の行動力とバイタリティでどんどん地域に馴染み、農業に従事する生産者の方々とともに道の駅のメニュー開発やワークショップを開催するなど奮闘中。東京へ行く機会も多く、四万十と東京の架け橋としての精力的な生活を送っている。

生まれも育ちも東京で、前職は事務職でした。当然野菜を育てた事がなかったし一次産品に向き合う経験がなかったのですが、東京で野菜ソムリエと食育マイスターの資格をとって食の仕事に転身した時、どうせなら東京以外の場所で自分で野菜を育ててみよう!と思い移住しました。

田舎暮らしをした経験がなかったのでどんな生活になるのか予想もつかず、すごく心配しました。しかし、実際に移住してみたら、厳しい事だけではなくいい事も沢山あって、いろんな面で予想外でした。東京にいた時は、自分が何かを得る時はお金を払って買う。食べ物でもサービスでもなんでもお金が必要だったのですが、こちらにはちょっと違う経済のしくみがありました。分かりやすく言うと物々交換であったり気持ちの交換で社会が成り立っている部分がかなりあって、新鮮な驚きでした。

知り合いがほとんどいなかったのですが、いろんな方に繋がりをつくっていただいたり、次の段階で紹介いただいた先にひとりでうかがって生産者の現場を見せて頂いたり色々なお話をさせて頂きました。そうやって顔を売っていくことで、口コミで少しずつ地域との関係性が広がっていきました。
このあたりの方々は、知らない人に対して結構オープンで、すごく親切でお世話もしてくれますが、本当の意味で文化やその人のことを理解するには、もっと深く入っていく必要があります。より理解を深めるために、みなさんからのたくさんの親切に、精一杯できることでお返ししていく事が大切だと思いました。

東京の人に比べ、時間の使い方が全然違っていて、こちらの方々のほうがルーズです(笑)。でも、ゆとりを持って豊かな生活しているので、せかせかしていません。余裕を持って生きる事を楽しんでいる印象です。もちろん、仕事をしてお金を稼ぐことで人は生きていくのですが、生きるってもうちょっと大らかなものだなと感じましたし、みなさんに影響されて自分も大らかになった気がします。

シニア野菜ソムリエ、食育マイスターという資格を活かして仕事をしています。野菜ソムリエは生産者と消費者をつなぐ役割を担っています。高知県で採れたものを、東京の飲食店などに持って行ってPRしたりスーパーにある野菜でつくれるレシピをつくったり正しい情報を提供したりして、消費者が興味を持ちやすいように工夫しています。
また、消費者の感想や要望を生産者の方にフィードバックすることで店舗・商品開発に役立てて頂いています。

主には生産者と消費者との架け橋の役割になりますが、私はそれだけではなく地域と都市部の架け橋にもなりたいと思っています。都市部の色々な方々と情報交換し地域にフィードバックするという役割でも期待されていると思います。

知らない土地に行ったら人の助けがないと生きてはいけません。いろんな方にお世話になると思います。そういったコミュニティの中で、「自分も何か出来る事を地域にお返ししていく」「地域の人々と一緒に何かをやっていく」という姿勢が大事だと思います。一つ心がけていることは「よそ者の視点」。外部からの視点でこの地域がどう見えるのかを客観的に考え、その中で良いものを発見し、地域の食べ物の素晴らしさを外部にもPRしつつ地域の人にも伝える。「こういう物は他には無いんだよ」とか「この食べ物はすごく美味しいよ」という事を地域の人たちに伝えていく。そうすることで、地域の方々のモチベーションもあがるし農家さんも頑張って作ってくれる。そういった視点・行動を大切にしています。

四万十に移住して世の中にはこんなにも違う価値観があることに気づきました。それはギブアンドテイクが生活の大事な部分を支えている、という東京とは異なる価値観です。これは移住をしなければ絶対に得られなかった事です。ここに来て心の豊かさを得たような気がします。

考える事は誰にでも出来ますが、考える事と実行する事は、似て非なるもので全然違います。移住を検討している方は、失敗したら戻ればいいと思いますし(笑)、勇気を出してチャレンジしてみることをオススメします。

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voice 02
岡部 有美子 さん

株式会社 巡の環
地域づくり・教育事業コーディネーター/広報

移住先 : 島根県隠岐郡海士町

埼玉県熊谷市出身。中央大学総合政策学部卒業後、IT企業に勤務。エンジニア、技術営業、マーケティング、新規サービス企画とマルチなキャリアを歩む。2014年3月に海士五感塾の参加者として初めての海士へ。2015年1月に、人が行動するキッカケづくりと未来の仕事づくりの新たなステージとして、巡の環に入社。島の人たちと飲みながら、島の素材を使った新しいおつまみのレパートリーを増やす日々。

もともと、大学を卒業後、東京でIT系のシステムエンジニアや技術営業、マーケティングをしていました。何の疑問もなく東京の企業ばかりに従事していたのですが新しい仕事を模索していたときに、たまたま海士町で開催された海士五感塾で今働いているの会社の方々に巡り合いお話を聞くにつけ、人が行動するきっかけ作りが出来る仕事は東京じゃなくても出来ると確信し移住を実行しました。

今している仕事は町づくりの仕事です。役場の方々と一緒に町の計画を作っています。もう一つは、海士町に来た企業の方や取材の方々に研修をしています。今の会社の従業員の出身地はバラバラで、名古屋、大阪、島根などから普通に応募してきたりインターンシップを経て入社した者もいます。

ワークライフミックスが好きな人が向いていると思います。「働くこと」と「暮らすこと」を分けないスタイルには、良い面も悪い面もありまして、「良い面」は、仕事が終わった後、その延長ですぐ海に行ったり釣りに行ったり出来るという物理的なメリット。そして、ここは人間関係が濃いので、自分がやった仕事で誰が幸せになるのかが目に見えて分かる事。逆に「悪い面」は、周りの目を多少なりとも常に気にしないといけない事です。

地域の活動に参加する事を大事にしています。盆踊りを手伝ったり、綱引き大会やソフトボール大会などにも参加しています。そうした中で出来た仲間が、自分の仕事でも大事なパートナーになっています。東京では仕事とプライベートを完全に分けていて、しかも仕事の時間が圧倒的に長かったのですが、ここでは自分の仕事が誰の為になっているのかが見えるので、それが仕事のモチベーションになっています。

ストレス発散の場が凄く近いということがとても気に入っています。海が好きなので、東京なら数時間かけて行くところを、ここならすぐに行く事ができます。海士町の方針は『自立、挑戦、公流』。海士町では「止まらない限り失敗ではない」と掲げ、世代を問わず常に挑戦し続けることを心がけています。特に若い人材であればあるほど、怖がらず挑戦しつづけることが大事で、逆に言えば「挑戦し続けられる」場所です。

福祉はもちろん、農業、漁業など一次産業を支える力が必要ですし、新しいサービスを生み出す力やバイタリティも必要です。実はいろんな分野で人材が求められており、何かひとつの分野に興味を持って本気で取り組んでくれる人材がすごく必要です。

(遠隔地である故に)ビジネス的には、IT技術があったりプレゼンテーションが上手いほうがよいですし、地方で働く為には、人ときちんとコミュニケーションをとり仕事だけではなく暮らしを充実させる能力や、独りよがりにならずいろんな人たちと一緒にやっていく力があるとよいと思います。

地方には沢山の仕事のチャンスがあり、小さな社会だからこそ結果も見えやすく、頑張って成果を出せば、すぐにナンバー1になれて自分の自信にもつながります。
確かにお給料は少ないですが、ここでは食生活や遊ぶことにお金がかかりません。よって額面だけではなく自分にとって本当に必要な生き方や暮らし方をよく考えて仕事や場所を選ぶのがよいのだと思います。

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voice 03
橋本 太郎 さん

及源鋳造株式会社
ブランドプロデューサー

移住先 : 岩手県奥州市

東京の美術系大学を卒業後、創作活動の拠点とすべく当時空き家になっていた盛岡の実家に転居。岩手の工芸文化に興味を抱いていたところ、奥州市の鋳物メーカー・及源鋳造株式会社が取り組む海外展開のための新ブランドに魅了される。南部鉄器という伝統工芸の世界をウェブショップを通じて海外に広めることに力を注ぐ。現在は、会社のブランディングのほか製品開発にも積極的に取り組んでいる。

及源鋳造株式会社のブランディング担当をしています。自社の商品である鉄器を世の中にどう伝えていくか、東北の物づくりはこれからどうあるべきなのかを勉強しつつ外に発信しています。

もともと自分の血筋が岩手であったこともあり目を向けてみようと色々と調べてみたら、(岩手の)県南に豊かな物づくりの文化があることに驚き興味を持ち、横浜からIターンで盛岡に移住しました。
不便な所があるものの、地に足をつけてゼロから自分がやるべき事を模索できる場は、故郷でもある岩手なのではないかと思い移住を決めました。

横浜は町が綺麗な都会ですが、美しい山もありませんし四季もあまり感じられません。しかし、岩手には豊かな自然とともに人間らしい生活が脈々と息づいており、そこで物づくりや独特の表現が育まれてきました。山や自然を見るとそういう歴史や文化が感じられ新鮮でした。

入社して半年くらいは研修期間でした。現場に行って職人さんの鉄瓶づくりのお手伝いをしたり、ひたすら検品、包装、出荷の作業をしていました。
そうした作業の中から浮かんだアイディアを元に、半年後、事務所に戻りショップやWebサイトのリニューアル企画を担当しました。これまでは、このショップがどういう空間に存在し、どのような特徴があるのかあまり発信をしていなかったので、積極的に情報を発信することでお客さまの来店を待つだけでなく、ご年配の方はもちろん若い人達にも鉄器を生活の中に取り入れて貰いたいという思いでショップづくりに取り組みました。

ショップディスプレイや商品開発、Web用の写真撮影、カタログの編集などの販促物の製作をしています。

住んでみると食材や道具など身近なところに世の中に広まってない素晴らしい物が沢山あることに気づくことができました。そのようなもともとここにある素晴らしい物をどう発信するのか?そういった気づきとシンプルな問いを大切にしています。
都会で働いていて、何の為に働いているのか?とか、これからどうやって生きるべきか?という思いで悩んでいる方は、一度、ここに来て頂いて何かを感じて貰えれば、新しい考えが生まれると思います。今僕は自分の原点と向き合って働いている感覚が強くあり、もっと昔から働いていたような錯覚さえします。自分以外にも、実際移り住んで暮らせていけてる人たちもいますので是非見て参考にしていただきたいです。

これまで製品開発のために海外に行く機会も何度かあったのですが、その際の印象として、日本文化に興味がある外国人が増えており、特に料理の世界ではどのシェフに聞いても日本の道具のクオリティは高く素晴らしいという評価を頂いています。
地方に日本を支える上での大事な精神があるからだと言えますし、美しい自然があったからこそ南部鉄器は、ここに根付いたのだと確信しています。今後、南部鉄器を通じて岩手の素晴らしい文化背景と日本の魅力を海外にもどんどん伝えていきたいです。

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voice 04
内藤 貴政 さん

第一ニットマーケティング株式会社
営業

勤務地 : 新潟県見附市
移住先(出身地) : 新潟県三条市

新潟県三条市生まれ。東京の大学への進学を期に上京。大学卒業後、東京都内のアパレル会社に就職し、ニット製品を扱う部署で3年半勤務。アパレル会社の取引先で、ニット産業が盛んな地元新潟県にある繊維メーカー「第一ニットマーケティング株式会社」の、伝統技術の奥深さや可能性に魅力を感じ、Uターン就職を決意。現在、日本の繊維産業の素晴らしさを国内外に伝えることで産地全体を活性化したいと日々精力的に働いている。

第一ニットマーケティング株式会社で営業職をしています。主な仕事内容は、東京のアパレル会社のデザイナーの方々と、商品の素材や編地・形・デザインの打ち合わせをして、決まった内容を工場の職人さんに伝えることです。デザイナーさんがイメージした通りの編地やテクニックが商品に反映できるように、密に職人さんとやりとりをしています。

東京で働いていた頃は、デザイナーとして、平面に絵のパターンを描き、次の段階では、工場で仕上がった商品ばかりを見ていました。しかし、現在はこれまでと逆で、もっとこうしたらいいものができるだろうと試行錯誤しながら、工場で実際に商品が形になるまでの過程を見ています。自分の目で過程を見ることができるところにやりがいを感じています。

家を継ぐという考えを小さい頃からずっと持っており、ゆくゆくは地元に帰りたいと思っていました。東京で働いていた時に、取引先だった第一ニットマーケティングの工場風景を見て、ものづくりの丁寧さや奥深さ、伝統技術(アナログ)と最先端の機器(ハイテク)の融合具合に面白みを感じ、是非仕事に携わってみたいと思ったことが移住の直接のきっかけです。 子供が生まれたら地元新潟で子育てしたいとも思っていましたので、今はのびのびと、子育てと仕事の両立ができていると思います。

洋服が好きでアパレル業界に入った私ですが、東京に住んでいる頃は田舎では仕事も限られていて自分のやりたい仕事は地元には全くないと諦めていました。 田舎で暮らすことは、電車の本数が少ない、お店が無いなど、不便なマイナスのイメージばかりだったのです。しかし、実際は「住めば都」という感じで、田舎に不便さやマイナスのイメージはまったく感じませんでした。逆に、自然の中で子育てするといった、都会では出来ない体験ができるので充実しています。山と海両方の自然に恵まれていて、夏は海、冬はスキーなど、子どもと一緒に遊ぶには最高の環境があるところが新潟の魅力です。また、昔に比べ、お店も交通機関も改善されていて、生活の不便さはそんなに感じません。

東京に住んでいた頃は、完成した商品ばかりみていので、洋服は全て機械で作られていると思っていました。 しかし実際現場で働いてみると、機械を使うのはほんの一部で、職人さんの集団がゼロから手作業で洋服を作りあげていることが分かりました。とにかく驚きの毎日で、日々勉強させてもらっています。 海外のニット製品が多い今だからこそ、日本製品の良さを改めて感じます。丁寧さ、細やかな気遣い、繊細なモノづくりなど、弊社の製品には、日本人の気質が表れています。

第一ニットマーケティングというブランドネームの付いた製品は市場に出回ることはなく、お客様の手元に商品が届く頃には別のブランドの商品名になっています。しかし、工場の名前は無くても、お客様に満足してもらえる製品を様々な形でゼロから作り上げているという自覚と自信を持って、日本だけではなく世界に発信していくことを目指したいです。 田舎の工場が素晴らしいモノづくりをしていることをたくさんの人に知ってもらえるように、古くからの技術の継承と若い世代の感性と感覚を使って産地全体を盛り上げていきたいです。

Uターンを決意した頃は、田舎には仕事が限られていると勝手に決めつけ、好きな洋服の仕事は諦めようと決心して帰ってきました。しかしここに移住してみても、やりたいことを諦める必要は全く無く、今の洋服の仕事でもっともっと地元を盛り上げていきたいという新しい目標も生まれました。だから、田舎だから好きな仕事ができないと自分で決めつけないでほしいです。探せば色々な仕事があり、自信を持ってやれる仕事を、必ず見つけ出すことができると思います。皆さんも是非(LO活に)トライしてほしいです!

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