働き方紹介Before → After
岐阜県

飛騨での仕事と暮らしは、 ニューヨーク勤務時代よりもグローバルになりました。

【岐阜県】株式会社美ら地球 代表取締役
山田拓さん
1975年奈良県生まれ。外資系コンサルティング会社でコンサルタントとして勤務の後、29歳で退職。奥さんと世界29カ国を放浪する旅に出た。道中で多くの刺激を受ける中で「日本のローカルの素晴らしさ」を再認識し、帰国後は田舎暮らしを決意。地元の奈良や長野といった候補から、2007年、街並みと景観に魅せられた飛騨古川に移住。ローカルの魅力を世の中に発信する会社を立ち上げた。

サマリー

外資系企業でコンサルタントとして世界中の企業を相手に活躍していた山田さんは、29歳で退職し、奥さんと世界一周旅行に出かけました。都会暮らしに慣れた山田さんは、旅先で見た「そこにあるもので豊かに暮らす」民族の姿に感動。同時に、日本のローカルにも同じ魅力があることに気付きます。帰国後は街並みと景観に魅せられた飛騨古川に移住し、さらに「飛騨古川でできる、自分ならではの仕事」と考え、ローカルの魅力を世の中に発信する会社を立ち上げました。外国人観光客を相手に飛騨を自転車で案内したり、海外へ飛騨の魅力をアピールするための方法を考えたりの毎日。「昔よりもずっとグローバルな仕事をしている」と、山田さんは話します。

山田拓さん
飛騨エリアってどこ?

Q.1 仕事の内容は、どう変わった?

Before

山田さんが新卒で入社したのは、外資系のコンサルティング会社。「世界中の社員と一緒にアメリカで研修を受けたり、世界中に名が知れた大企業と仕事をするのは、とてもおもしろかったです」と、当時を振り返ります。どんどん実績を残した山田さんは、若くしてエリートの証であるニューヨーク勤務に抜擢されました。仕事は厳しいけれど、頑張った分だけ評価されて収入も上がっていくため、働く手応えを感じていました。

ただ、大きな会社だからこそ、社員はそれぞれに担当できるコンサルティング領域が決まっています。スペシャリストとして、知識や経験は深くなりますが、一方でそういった枠を越えて、自由に仕事をしてみたい」という気持ちもありました。

After

山田さんが、飛騨古川に移住後立ち上げた『株式会社美ら地球』は、飛騨ならではの美しい里山や古民家を活かして、観光ツアーや宿泊プランを企画・販売するSATOYAMA EXPERIENCEを運営しています。なかでも人気があるのは、自転車で飛騨の暮らしや歴史を案内して回るツアー『飛騨里山サイクリング』。参加者の7割は世界40カ国から参加する外国人。世界規模の旅行クチコミサイト「トリップアドバイザー」で9割以上の人が高評価をつけています。

多国籍で個性的なお客様とやりとりできるのが、何よりおもしろいです。観光客だけでなく、役所や企業と連携をすることもあるし、仕事の幅は、以前に比べるとずいぶんと広がりました。でも最初のうちは、なかなか上手くいかなくて、毎日『やめておけばよかった』って思ってました」と、笑います。

「コンサルタントとして世界中の大企業と仕事をしていたときより、今のほうがずっと世界を身近に感じるんですよね」と、なんだかうれしそうな山田さん。美ら地球のツアーに訪れるお客様とは毎日のように英語を話すし、昔より海外出張も多いのだそうです。

「飛行機の航路図には、世界の大都市をつなぐ線が何本も引かれていますよね。僕のイメージは、飛騨古川から、多くの国とつながる線が出ているような感じです。都会ではなく、飛騨の小さな町が拠点になっている、というのがおもしろいと思うんですよね」。

Answer

外資系企業でのコンサルタント経験を活かし、当時よりずっとグローバルな「飛騨から世界につながる新しい仕事」を生み出した。

Q.2 今と昔、仕事の価値観は?

Before

以前いたコンサルティング業界は“アップ・オア・アウト”(年収がアップするか、会社からアウトするか)の世界。若いころは、そのわかりやすい価値観がモチベーションにつながっていました。

でも、がむしゃらに結果を出して、29歳でひと休みをしたとき、仕事に求めるものが変わりました。きっかけは、奥様と2人で出かけた世界一周旅行でした。足かけ2年で、南米やアフリカを中心に29カ国を周遊。さまざまな国の暮らしを目にして、これから自分たちがどのように生きていくか、改めて見つめ直したといいます。

もともとスポーツやアウトドアが好きで、週末はよく地方に遊びに出かけていた山田さん。プライベートをより充実させるなら田舎暮らしのほうが合っているはずなのに、田舎に住むという選択をとることは、当時は思いもよりませんでした。

「日本で外資系企業に勤めると、国内の拠点はたいてい東京にしかありません。でも、海外では、地方に支社があることはめずらしくない。つまり世界には、世界を相手に仕事をしながら豊かな自然の中で暮らすという、日本にはない選択肢があるんです。帰国したらまずは住みたい場所を見つけて、そこから仕事を探してみようと思いました」。

After

そして見つけたベストな土地が、東京から電車を乗り継ぎ約4時間の飛騨古川。気持ちのいい田園風景や、歴史を感じさせる街並みに心惹かれました。

「移住してから、仕事を探しました。なにか仕事をしなくちゃ、食べていけませんからね。どうせなら楽しく、自分だからできることをしようと思って、思い切って会社を立ち上げました」。

山田さんの会社は飛騨の魅力を世界に向けて発信し、観光客を呼び込む仕事。地域活性にもつながる大事な仕事だが、そんなに志は高くないと、山田さんはあくまで自然体。「もともとの動機は、このあたりの温泉にタダで入りたいなとか、そんな感じです(笑)。自分が心地よく暮らすため、地元の人たちと信頼関係を築くための地域貢献であり、仕事です」。

東京ほどギラギラした人が多くないローカルには、ビジネスチャンスがたくさんある、と山田さんは言います。コンサルタントの経験が現在の観光を中心とした仕事に活きたように、都会で積んだ経験が地域で役立つケースもめずらしくないようです。

“どんな仕事をするか”は、誰もが考えること。でも“どこで暮らすか”には、あまり目を向けません。住みたい場所を先に探して、そこで何ができるか見つけていくスタイルは、これからの働き方を考えるヒントになりそうです。

Answer

「年収や肩書きなどのステータス」よりも、「よりよく暮らすための手段」として仕事を捉えるようになった。

Q.3 暮らしやご近所付き合いは、どう違う?

Before

奈良県生駒市で生まれ、神奈川県で育った山田さん。マンション暮らしも長く、それほど深いご近所付き合いはありませんでした。就職して一人暮らしを始めてからは忙しくなり、ほとんど家にも帰れないような日々。人付き合いは濃くないけれど、便利な暮らしが山田さんの当たり前。気ままな生活は、居心地がよくもありました。

「でも、世界中を回って人々の暮らしを見ていると、自然の中で暮らすのっていいな、と思ったんです。たとえ電気がなくても水がなくても、その環境に合わせて、楽しく生きられるし、そこには自分が知らない豊かさがあるんだなって」。

そしてもうひとつ。ある意味不自由な暮らしを続けるからこそ、守られるものがあることにも気が付きます。畑や田んぼを守り、伝統行事やお祭りを受け継ぐことで、後世に思いを伝えていく。帰国したら、自分もそんなライフスタイルの一部になってみたいと、飛騨古川への移住を決めました。

After

飛騨に移り住み、憧れたローカルでの生活を手に入れた山田さん。そして、初めての“濃い人付き合い”を経験します。

「飛騨では、地域の中で暮らしている感覚がとても濃厚です。都会での生活も本当はそうなんだと思うけれど、ここでは“お互い様”の場面がたくさんあります」。

たとえば、商店街での買い物。大きなショッピングモールなどと違って、ここでは売るほうも買うほうも顔見知りのご近所さんです。お店があることで、自分の暮らしが支えられ、また、商品を買うことで、相手の暮らしを支えます。「いろんな意味で距離が近いのは、けっこう便利なんです。米びつがカラになったと電話をしたら、すぐに精米したてのお米を届けてもらえたりして。スーパーより少し高くとも、とても新鮮で、地元産のお米の美味しさを改めて感じることができます」。

もちろん、すっかり出来上がっている住民の輪に入っていくことには、苦労もありました。会話についていけなかったり、地域での集まりが多くて疲れてしまったり。

「10年住んだいまは、ほどよい付き合いができるようになってきましたが、今年は組長を務めているので、お祭り関係の会合は絶対に休めません。人付き合いから得るものも多いけれど、果たさなければならない責任も大きいと感じます」。

Answer

お金のつながりがベースの暮らしから、人間同士の豊かな心のつながりがベースの暮らしになった。

Q.4 移住してきた社員たちの変化について

Before

株式会社美ら地球の採用には、全国各地から多くの応募があります。現在のメンバーは、15名中12名が、別の土地からやってきた移住者。飛騨の魅力だけでなく、山田さんの働き方や価値観に惹かれて集まる人が多いそうです。

「当社は『新たなライフスタイルの牽引者になる』という経営理念を掲げています。本来、それは企業が掲げるようなことではありません。でも僕らはスタッフのみんなに、オンもオフも自分なりのライフスタイルを作ってほしいと願っています。収入を得るためだけではなく、自己実現の手段としても仕事をしてほしい。そんな想いに共感してくれた人が集まってくれて、美ら地球ならではの暮らし方や働き方が生まれているのではないかと思います」。

中には、移住当初は新しい仕事や暮らしになかなか馴染めない人もいるのかもしれません。大切なのは、馴染もうとするのではなく、素の自分をさらけだすこと、そして、それを受け入れてもらうこと。そうすれば、肩の力が抜けて、本当の意味でローカルでの暮らしを楽しむことができるのだと思います。

After

飛騨古川に来て9カ月のスタッフ・あきこさんは、まさにそんな暮らし方や働き方が身につきはじめています。

「美ら地球のツアーガイドは、地域とつながれる仕事です。参加者の方々とサイクリングツアーで飛騨地域を回る中で、地域住民の方々とお会いし、時には農家の方からお米作りや畑についてお話を伺えたりします。おかげで交流が深まり、採れたての野菜を持ってきてもらったり、ときにはこちらが畑仕事を手伝いに行ったりといった関係もできました」と、あきこさん。知らない場所で働き始めることに、不安はなかったのでしょうか。そう尋ねると彼女は「移住して楽しく働いている先輩が何人もいて、心強かった」と答えました。

そんな話をにこにこと聞いていた山田さんは「そもそも仕事は人生の一部だから、仕事を基準に全部を決めなくたっていいと思うんです」と言いました。自分がやりたいこと、おもしろいと思うことをまずやって、そこからどんどん次の道を探す。その中に仕事を上手に組み込んでいく。怖がらずに、やりたいことに真っすぐ向き合うことが人生を豊かに広げてくれると、実感を込めて語りました。

Answer

「何よりも仕事を優先する」という価値観への違和感を解消する仕事と暮らしを手に入れ、オン・オフともに充実した毎日を過ごしている。

編集後記

住みたい場所を探してから、そこでする仕事を考える。簡単そうでいて、なかなか難しいことです。でも「このキレイな山を毎日眺めたい」「おいしいお米を食べて暮らしたい」といったシンプルな気持ちを大事にするのは、とても素敵。大好きな土地でいきいきと暮らし、ばりばり仕事をする山田さんを見ていると、素直にそう感じました。外資系企業の第一線で活躍していた山田さんは、イメージどおり、とても"デキる”雰囲気。東京で会ったら、緊張してこちらが身構えてしまいそうな印象ですが、そんな山田さんに、散歩中のおばあちゃんが「あんたなぁ」と笑顔で話しかけてきます。ローカルでは、「仕事ができる・できない」ばかりで人を評価するわけではありません。ひとり一人を人として尊重し合う、そんな豊かな人間関係を垣間見た気がしました。