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宮城県
役職・収入が上がるキャリアアップより 自分ができることが増えるキャリアアップを選んだ
役職・収入が上がるキャリアアップより 自分ができることが増えるキャリアアップを選んだ
株式会社鮮冷 営業部
須賀百合香さん
1989年栃木県生まれ。上智大学社会学科卒業。2012年大手製薬会社に入社後、仙台支社で食品営業を担当。仙台支社から東京本社へ異動になって約1年半後の社会人6年目に宮城県女川町の株式会社鮮冷に転職。女川の冷凍水産加工品や水産加工惣菜を国内外に売り込む営業活動を行っている。

サマリー

2012年、新卒で大手製薬会社に入社後、配属されたのは東日本大震災直後の仙台支社での営業。震災復興が進む東北で、同じ目的を持った信頼できる仲間と出会い、週末は震災復興のボランティア、平日は会社の営業業務を行ってきました。仙台で3年半が経とうとしていた時、須賀さんは東京本社への異動を命じられます。「正直、東北を離れたくなかった」と語りながらも、本社でプロダクトマネージメントの仕事を開始。本社での仕事にも慣れた頃Facebookで見かけたのは、東北でお世話になった方の会社がグローバル営業を募集しているという投稿でした。須賀さんは自分の将来のキャリアを考え、再び東北の地を訪れます。転職を経てたどり着いた二度目の東北では、さまざまな経験がこれまでとは異なるキャリアップをさせてくれました。

須賀百合香さん

須賀百合香さん

宮城県女川町ってどこ?

宮城県女川町ってどこ?

Q.1 東北への想いは、どう変わった?

Before

~東北に想いを残した学生時代~

学生時代の須賀さんは、社会貢献活動に対する興味が強く、途上国支援のNPOでボランティア活動を行っていました。そこで、「支援することの意味」を痛感します。大学主催のスタディツアーでカンボジアを訪問し、現地のゴミの山を訪れたときのことでした。バスから降りる際に、須賀さんは思わず鼻にハンカチを当ててしまいます。それを見た先輩から厳しい言葉が飛んできました。「この環境下でしか暮らせない人たちがいるのに、その態度を見たらどう思う?」「目から鱗が落ちました。きれいな身なりでそのような態度を取ることが、どんなに失礼なことか、先輩に言われて痛感しました。その瞬間から、何かをしてあげたいという上から目線の発想は消え、現地の人と一緒に考えることの重要性に気付きました」。

そして2011年、須賀さんの就活中に東日本大震災が発生します。周囲の友達の中には、すぐに支援物資を車に積んで東北へ向かう姿もありました。しかし須賀さんはすぐに動けません。自分の就活のことでいっぱいいっぱいだったからです。

本気で活動していたボランティア経験があるからこそ、震災時に東北支援へ動けなかった自分に対して残念な想いが残ったといいます。

After

~学生時代の想いと共に過ごした1回目の東北移住~

そんな想いを残しつつ、須賀さんは大手製薬会社に入社します。配属先は偶然にも仙台でした。「特に希望した訳ではありません。でも配属先が決まった時に、これで東北で何かできるって思いました」と語ります。

仙台支社での仕事は食品の営業。しかしその当時の東北は、営業先も被災していたり、また多くの人が仮設住宅に暮らしている状況でした。

そして、社会人として初めての営業。うまくいかないことも沢山ありました。そんな中、自分と同じように、東京から仙台に配属になった他社の新入社員たちと出会ったり、またボランティア活動などで繋がったりと、人の輪が広がり始め、そして、状況を共有しながら何をすべきか一緒に考えて行動していたそうです。

そんな環境の中、須賀さんが心に決めていたことがあります。それは「東北のために何かをしてあげる」という上から目線なスタンスは取らないこと。学生時代のNPO活動で肝に銘じたゴミ山の経験があったからです。

須賀さんが仙台の暮らしの中で行ってきた復興支援や営業活動は、きっとこのような気持ちで対応したからこそ、信頼できる仲間と同じ目標を共有できて、被災された東北の人々の気持ちに寄り添えたのでしょう。

Answer

東日本大震災発生時、ボランティアよりも自分の就活を優先した負い目は、学生時代の途上国支援の経験とともに、新卒で配属された仙台での活動で活かされた。

Q.2 女川だから得られたことは?

Before

~キャリアプランが見えにくくなった東京本社時代~

しばらくして、須賀さんは仙台支社から東京本社への異動を命じられます。
命じられた瞬間思ったのは「断りたい。仙台に残りたい」だったそうです。

徐々に復興してゆく東北。信頼できる仲間と一緒に、同じ目的を持って活動することに、やりがいと仕事の価値を見いだしていたからこそ、このタイミングで離れたくなかったのだそうです。

しかし異動は決定事項。須賀さんは仙台を離れ、東京本社でサプリメントのプロダクトマネージメント業務を担当することになりました。マーケティングを学びながら、必死で新たな仕事を覚える毎日が続きます。

本社での仕事にも慣れてきた社会人5年目。須賀さんはFacebookで気になる投稿を見つけます。仙台時代にお世話になった方の会社が人材を募集しているという内容。本社での仕事は学ぶことも沢山あったし転職など意識していなかったという須賀さんですが、気持ちに変化が生まれます。その頃は、自分の将来を考えた時に、どんなキャリアプランを描いていこうか迷っていた時期でもあったそうです。

「本社では多くの女性が活躍していました。役職・給与が上がるキャリアプランにやりがいを感じる人も多いと思いますが、私の場合は、そのまま働き続けて役職が上がったとして、何が生み出せるのかが見えなくなっていたのです」そんな時に見た「女川でのグローバル営業」という仕事は、非常に魅力的で、直感的に話を聞いてみたいと動き出しました。

After

~新たなキャリアプランを求め、2回目の東北移住~

グローバル営業募集の記事を見て、須賀さんは鮮冷へ転職します。
地元の人ではなく、あえて他の地域のいわゆる“よそ者”を募集するサービス「YOSOMON!」を使っていたことも転職のポイントだったそうです。

「グローバル営業の仕事は、最初はぼやっとしたイメージで、商品を海外に販売するくらいのイメージでした。それよりも、よそ者だからこそできることと、地元の人だからこそできることを役割分担して、目標に向かってお互いが、がっつり組めることに魅力を感じました」と話す言葉の裏には、「どこで暮らす」という意識以上に、「この仕事が新たなキャリアプランを与えてくれそう」という直感があったそうです。

「転職した27歳は、私にとってベストタイミングだった気がします。ある程度の経験やお金もあり、リスクを取ってもまだ大丈夫な年齢。ちょうど、役職・給与が上がることだけがキャリアアップではないと感じていましたし、これまで積んできた経験が、次につなげられるかが自分にとってのキャリアップじゃないかと考えていた頃でした。それが正解かは分かりませんでしたが…」。そうして鮮冷へ転職した須賀さんは今、2回目の東北移住をして、自分の力で必要なことを全力で対応する経験を積み上げていく、やりがいのある仕事をしています。

Answer

役職・給与が上がるだけがキャリアアップではなく、これまで積んできた経験が、次につなげられるキャリアップが得られた

Q.3 鮮冷でのグローバルな仕事は、大手と何が違う?

Before

~メーカーの本質を学んだ東京本社時代~

話は製薬会社本社勤務の東京時代へ戻ります。本社時代の仕事は輸入しているサプリメントのプロダクトマネージメントでした。マーケティングを学び、戦略を作ることの面白さと難しさを知ったのは、本社勤務になったからこそのことと語ります。

「仙台の営業時代は、主には本社から届く指示に従いながら動きます。もちろん、自分の担当地域であったり、被災地で思うように動けない状況の場合は、いろいろと独自に考えながら対応しますが、基本は本社からの指示があります。また、本社勤務になって初めて、商品の輸入元であるアメリカとのやり取りや予算計画などの仕事を覚えました」

After

~自分でレールを敷くやりがいを感じる女川での現在~

須賀さんが女川へやってきたのは、転職先の鮮冷が会社設備などを整え、「CAS凍結」という細胞を壊さずに急速凍結できる最新の設備導入などが完了したタイミングでした。商品が出来てきて、これから東京や海外など新たな販売先を開拓していきたいという時期でした。

「商品の販売先を自分で見つけてくることは、前の会社では多くある事ではありませんでした。大手では、できあがったレールに乗せればいいのですが、ここではレールを敷くところからスタートです」と語る笑顔は、やりがいを感じているからこそ。

須賀さんの業務は、販売先を見つけるだけではありません。商品梱包用の箱のデザインの発注から、パンフレットやお店に置いてもらうPOPの作成、会社の広報まで全てが業務範囲です。

そんな多忙な環境で働く須賀さんは、そのモチベーションの裏にある気持ちを教えてくれました。「ここには、震災で想像できないような大変な経験を乗り越えている人や、人としてどうあるべきかを考えて心から人のことを想って行動する人がいるのです。そんな環境の中にいるからこそ気づくことや、信頼できる人が多いんです。そんな人たちや地域に恩返ししたい、という気持ちはありますね

須賀さんのベースには、同じ目標に対して信頼できる仲間と向かえることへの感謝があるようです。

Answer

敷かれたレールを走るのではなく、レールを敷くことからはじまるやりがいを味わっている

Q.4 これから始まる二拠点居住生活とは?

Before

~2度目の移住直後、女川での心境~

須賀さんが2回目の東北移住で女川の鮮冷へやってきた当初の暮らしは、専務宅へのホームステイでした。当時の東北は、復興で建設関連も遅れていて、会社の寮の完成が長引いたためでした。東京の大手企業の本社勤務から一転、震災復興の遅れから自分の住む場所が出来ていない環境への転職に不安はなかったのでしょうか?

「もともと専務の奥様は、前職時代に知り合いお世話になっていた方でしたから、不安はありませんでした。それにかわいいお子さん2人とも一緒に住まわせて頂き、楽しかったです。2カ月くらいで寮もできましたから、その後は寮で暮らしています」という須賀さんですが、女川への移住後は、収入が大きく減少する、スーパーが近くにない、休日が少なくなったなどの変化が負担に感じた期もあったそうです。

環境や仕事の変化は、慣れるまでに少し時間がかかったといいます。
ようやく慣れてきた女川の暮らし。しかしこれから更なる変化が訪れます。

After

~これから迎える「東京に住みながら、女川の仕事をする生活」~

実は、この度ご結婚が決まり、ご主人の住む東京での生活が始まるのだそうです。

「いずれ東京に戻るという話は、面接の段階からしていましたので、会社側も理解し私を採用してくれましたし、今後は東京で働く環境を整えることも考えてくれています」と少し照れながら話してくれました。

「物理的な距離のデメリットは時間差が生じることじゃないですかね。直接会って情報共有したほうが的確なのに、意思疎通がメールなどになります。現場はコミュニケーションが大切で、相手ごとのコミュニケーションの取り方があるのに、機械的にメールやSNSだけでコミュニケートするのはちょっと不安ではあります」と、会社内での社員同士の距離が近いからこそ感じる不安を語ってくれました。

一方で、こんなことも話してくれました。「女川は関係人口(女川に接点を持ってくれる人数)を増やしていくことを重要視しているんです。必ずしも移住・定住者ではないんです。観光で訪れてくれる方、取引先の他県の企業なども関係人口に入ります。だから私自身も、どこにいても女川と関わりながら、働ける暮らしをしたいと考えています」

結婚を機に家族ができれば、生活スタイルは変わります。ご主人の仕事と家庭と自分の仕事、すべてを大切にしたいと考えた時、その人に最適な働き方を選べるのは幸せなことなのかもしれません。

Answer

人生のステージが変化する時、仕事とプライベートの双方に対応できる働き方を会社が提示してくれた。

編集後記

最近「人生100年時代」とか「LIFE SHIFT」などの言葉をよく耳にします。そして今回取材した須賀さんのお話をうかがって、そんな時代の変革期に「自分らしい働き方」を選択している時代を先取りしている方だと感じました。
自分にとってのキャリアアップというのはどういうものなのか、20代で考え動ける行動力は、鮮冷に転職して1年で新しいことに次々チャレンジしている仕事からも伝わってきます。そんな須賀さんは、「直感を信じること」を大切にして、これまでの人生の選択をしてきたそうです。みなさんも、もしも転機を感じていたなら、直感を信じてチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

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